12月16日。
今日は早坂暁先生の命日です。
前職で先生と親しくさせていただいていた頃。
当時、先生は渋谷の東武ホテルに住んでいて、原稿の受け渡しなどはホテルのロビーで待ち合わせでした。
ホテルのフロントに行くと、すでに勝手知ったるフロント係が僕に一礼して、傍らの内線電話を差し出してくれます。何度も通ううちに、ぼくは宿泊客ではなく、ホテルを定宿にする先生の編集者だと認知されています。
ぼくは先生の部屋に電話をして、いま下にいますと伝えてから、ロビーのソファに座ります。
ほどなくエレベーターが開き、先生が降りてきます。
こっちをみとめて、ちょっと片手を上げます。
ぼくはソファから立ち上がって会釈しながら、上げていないほうの手を素早く見ます。
その手に何枚かの原稿用紙が握らていることもあり――まるで手ぶらのときもあります。
いま思えば、何も持っていない手ぶらのときのほうが多かったような気がします。
先生は「わざわざどうも」みたいなことをごにょごにょっとおっしゃって、一緒に喫茶店に入ります。
そして、実に面白い話を次々にするのです。
それを聞いて笑ったり感心したりしているうちに、じゃあまたねってことになって、先生はホテルの入口までぼくを見送ってくださいます。
ぼくは先生に会釈して公園通りを降りて行き、先生は部屋に戻っていきます。
原稿をもらえなかったことはうやむやです。
若造のぼくなど、先生の前ではくみしやすい相手だったことでしょう。
先日亡くなった東映会長の岡田裕介さんから、先生の全集のための推薦文をもらったことがあります。
吉永小百合さんや市原悦子さん、小林桂樹さんと並んで、岡田さんにも推薦していただいたのです。
細かい文言は憶えていませんが、そのとき岡田さんは、
「早坂さんには、「なんとかなる」という度胸を教えていただいた」
という趣旨の文章を書いてくださいました。
いまでもたまにピンチだというときには、ぼくは岡田裕介さんのコメントともに、早坂先生の「なんとかなる」度胸のことを思い出します。
そしてそのことばを、先生ののらりくらりとした口調で直接聞くことができたら、どんなにいいだろうかと思うのです。

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