本日の愛媛新聞の「地軸」欄、早坂暁先生『この世の景色』のことを書いてくださいました!
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冒頭の「花へんろ」というドラマのこと。
照一さんというのは主人公の嫁ぎ先の商家の長男だけど、超ちゃらんぽらんで遊び人。
どこの親戚にもひとりはいそうな、飄々とした道楽者。
奥さんがいるのに、芸者さんとの間に子どもを作っちゃって、のらくらと家族の批判をかわしながら、出産のためにその芸者さんを同居させちゃったりする、困った大人です。
時が経って、妻との間の次男は南方で戦死します。そのくだりが、記事の冒頭。
そして芸者さんとの間にできた子どもは広島に行きます……。
このあたり、早坂暁という人の真骨頂というべきドラマ作りです。
そしてその根底には、四国の遍路みちがある、という記事です。
ご一読ください。
なお。
記事の長さ的に入りきらなかったかと思いますので、まことに不躾なことですが、奥様の富田さんの思いについて。
「何かの『答え』が見つかるような本になれば」
というのは、病と死について書かれている「生のレッスン・死のレッスン」という章を念頭においての言葉かもしれません。
早坂先生にとって空海やタカアシガニがそうであったように、読者にとってはこの文章が、導きになる時があるかもしれないと、奥様は願っているのだと思います。
あるいは他の章でも、猫のアマテラスが毅然として死に、親友・渥美清がさりげなくあっけらかんと死んでいきます。父親も俳句を残して亡くなり、先生は「吊革のないバスにゆられているような」気持ちになります。
妹と大工のゴロやんは広島で死に、雪錦は満洲で死にます。
こう書くとなんだか暗い本のようですが、早坂暁の筆致はあくまでユーモラスで飄々としています。哀しみは読者の胸に、自然とにじんでくるだけです。
そして遍路はずっと歩き続けています。
そのような先生の「平気で生きる」姿勢が、読者にとって何かの『答え』になるときが来るかもしれない。そんな本であってほしい。
と奥様はおっしゃっりたかったのかもしれません。
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