大川さんの『なぜ戦争をえがくのか』がアート系雑誌に相次いで紹介されました。
まず『芸術新潮』4月号。
武田一義さん、遠藤薫さんのことばを引いて「誠実な姿勢」を評価していただきつつ、取材中にコロナ禍に入ったことも踏まえ、「変遷する歴史と記憶の継承も、リアルに感じられる」と結ばれます。
コロナ禍で最後の3本がオンライン取材になり、また取材後の原稿制作の段階で大川さんに大きな葛藤や苦悩があったことは、「はじめに」「おわりに」にも書かれています。
正直、昨年の今頃~6月くらいは、ぼくもかなり気が滅入っていました。
ただ、いま振り返ってみて、あのタイミングでこの本を作っていたことが、個人的にとても重要だったと思えます。
単純に、この仕事に集中しようとしていたから気が紛れた、ということもあります。
さらに、こうして読み返してみると、後半の土門蘭さんあたりからコロナの気配が刻印されることになり、この本がこれから先もずっと「あのころ」のことを思い出すよすがになったことも――今となっては――それでよかったのだと思えます。
本のテーマとは別に、それを作っていた時のことが濃い思い出になることは――たとえそのときは苦しかったとしても――著者や編集者にとって、長い目で見て幸福なことなのかもしれません。
なお紹介記事が載っているのは147ページなのですが、対抗ページには諏訪敦さんの論「往復書簡のあわいに立ち上がるもの」が載っており、その偶然に驚きました。
で、ページをめくると、なんと148ページには小田原のどかさんの寄稿が載っているのです。
諏訪さんと小田原さんに挟まれて紹介記事が載るとは、『芸術新潮』編集部の粋な計らいなのか、純然たる偶然なのか。
いずれにせよ嬉しいびっくりでした。
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『アートコレクターズ』4月号にも記事が載りました。
諏訪さんと小泉明郎さんを中心に紹介くださっています。
すでに『美術手帖』『美術の窓』にも紹介いただいているので、主要なアート系雑誌に掲載いただいたことになります。
美術系の人たちに取り上げていただいたことは、登場した10組13人の方々のお力であり、そういった人たちに注目して1冊の本のなかに同居させることに成功した、編著者の慧眼です。
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