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  • 執筆者の写真みずき書林

『マーシャル、父の戦場』@図書新聞


図書新聞 3月2日3389号に『マーシャル、父の戦場』の書評が掲載されています!

評者は佐藤幸男氏。


「太平洋がゴミ捨て場のように大国に翻弄されてきた歴史からぬけだし、主体的な語りを手にするには戦争の記憶ばかりか、国家による暴力やその語りを反転させる課題とどのように取り組むのか」


なお同紙「ポケットブック」のコーナーには、石原俊先生の新著、

『硫黄島』(中公新書)も紹介されています。

「「日米合作」による硫黄島の故郷喪失状態」という見出しです。

この「日米合作による故郷喪失」ということば、そのままマーシャルにも当てはまります。

詳しくは『マーシャル、父の戦場』のなかでグレッグ・ドボルザーク先生が「誰が海を閉じたのか?――日米間における記憶喪失の群島」と題して書かれています。


「忘却することは、日米双方の戦後における諸勢力が共謀した企みである。日本の記憶喪失の物語やマーシャル諸島における選択的記憶に焦点を当てながら、私は(中略)日本人が太平洋の記憶を忘却したり、マーシャル諸島の人々がそれを記憶したりするときに、米国の権力がいかに媒介となってきたかを探っていく」


といったドボルザーク先生の文章は、石原先生の、


「硫黄列島民の事実上の「難民」状態は、東アジアの冷戦状況が激化するなかで、「日米合作」のかたちでなし崩し的に長期化させられた」


といった箇所、あるいは(その直後に「しかし硫黄島のように、第二次世界大戦期から冷戦期を経てポスト冷戦期に至るまで、一つの島の住民全体が軍事利用のために故郷に帰還できない状況に置かれている事例を、筆者は寡聞にして知らない」という一節があるとはいえ)、


「硫黄島と同様に、島民が強制移住させられた状態で長年軍事利用されてきた島は、マーシャル諸島のクワジェリン環礁やインド洋のチャゴス諸島のディエゴガルシア島など、世界に少なからず存在している」


というテキストと呼応しています。



石原俊先生は、2017年の6月にマーシャルの企画を僕に伝えてくださり、この本をめぐる人びとと出会わせてくれた(そのことは僕を考えてもいなかった場所に連れ出すことになり、結果的にみずき書林という影も形もなかったものをあらしめることになります)きっかけとなってくださった人です。


その方の本と図書新聞で一緒になったことを、ささやかに喜んでいます。




図書新聞には、懇意にしていた営業担当の方がいました。

その人も僕が退職する少し前に図書新聞を離れ、僕がみずき書林を立ち上げたあとで一度葉書を送ってくれました。

元気にしているでしょうか。


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