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  • 執筆者の写真みずき書林

『籠城の心得』


もしかしたら今でも続いているのかもしれないけど、むかし『あさりちゃん』という漫画がありました。姉が好きで読んでいました。

単行本の何巻かは忘れましたが、核戦争が起こって、あさりちゃんと姉のタタミが核シェルターに避難して暮らす、というSFっぽい回がありました。

(姉ちゃん、覚えてる?)


非常食も運び込み、換気システムも完璧、ベッドの下には大量のマンガが敷き詰めてあって暇つぶしグッズも万全……というパーフェクトな核シェルターで、あさりちゃんとタタミは核戦争で荒れ果てた外界とは無縁に、へらへら笑って過ごします。

ところが、トイレ設備を設置し忘れるという致命的な欠陥が見つかって……。

もう30年以上前の読んだマンガですが、最近不意に思い出しました。




人間はパニくると、まず尻を拭くことを思う生き物のようです。



いま、『籠城の心得』という本を出したら売れるんじゃないかと、妄想しています。

このテキストも、例によっていっさい検索をしないで書いているのですが、古今東西の籠城戦のノウハウを集めて、現代における知見を引き出すような本を企画すれば、売れるんじゃないだろうか。



たとえば小田原の北条氏とか五稜郭とか、籠城の指南書みたいな古文書を残していたりしないものだろうか。

その古文書では、尻のことはどこまで詳しく書かれているのだろうか。



籠城戦に絶対に必要なものは何かというと、

1.どこかから救援が来る可能性

です。その次に重要なのは、

2.籠城側の士気を維持する

ということですが、それもすべて1にかかっています。

救援が来る期待が一切ないのであれば、士気は日ごとに下がり続け、籠城側はぜったいに敗れ去ります。

籠城とは、包囲戦とは、そういうものです。

もしどこかから援軍や救援物資が来る望みがないなら、中長期的に籠城側が勝つ見込みはありません。

たとえば天草四郎率いる島原の乱が絶望的な悲劇でしかなかったのは、(ハライソ以外には)ぜったいに救援が来ないシチュエーションだったからです。



ひるがえって、いま各家庭がやっている籠城戦は、いずれ救援物資が届く見込みがとても高いものです。

そのうち、トレペもマスクも補充されるはずです。

良くも悪くも、資本主義経済とはそういうものです。


もちろん、ごく普通の日常を送っていたら、いまこのタイミングでたまたまトレペが枯渇した、という日常的かつアンラッキーなケースはありえます。そういう人たちの手元(尻元)にこそ、トイレットペーパーは届くべきです。

でももしそういうエマージェンシーでないのなら、「とりあえず落とし紙を多量に確保する」というのは、籠城戦術のプライオリティではないのでは?



「取りあえば足りず、分けあえば余る」というのは古典的な助け合い標語です。

われとわが実のかわいさに、他人のことを尻目にかけて、不要不急のトレペを抱えて尻に帆掛けて逃げ去る、というのは士気を保つために有効な手段なのかどうなのか。


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