• みずき書林

『緊急事態TOKYO1964』――政治史ではなく、個人史を。


夫馬信一さんの著書

緊急事態TOKYO1964――聖火台へのカウントダウン』が出来上がりました!



そもそもこの本は、時事的なネタを追いかけた本ではありません。

僕としては、近現代史・文化史の本だと思っています。

それも、政治史ではなく、個人史の本だと思っています。


たとえば、マーシャルで餓死した日本兵や、奄美ルーツで満洲生まれで沖縄育ちの起業家や、爆撃ですぐ隣にいた友人が吹っ飛ばされた映画監督や、半軍半民の企業で戦時の写真を撮り続けた写真家たちの本と同じように。


我々はなぜ歴史の本を読むのか。

すでに行き過ぎて二度と戻ってこない過去のことなど知って、いったいどうしようというのか。


いろいろな答え方があると思いますが――過去は現在につながっていて、現在はそのまま未来だからです。

だから過去のことを知ることは、未来を考えるために役に立つ。

たったひとつ明らかなこと。現在と未来はなにより重要であるにもかかわらず、われわれが未来のことを考える材料として手にしているのは、過去だけです。



いま、こういう状況です。

つくづく(つくづく)「オリンピックなんてなければいいのに」と思います。

誰もが知っているとおり、われわれはいま世界レベルで手一杯です。

いったん利害関係や大人の事情を除いて考えてみれば、誰が一番早く駆けっこできるとか、誰が一番遠くまで槍を投げられるかとか、それよりも注視しなければならないことがあるのは確かです。

みんなで運動会をしている場合ではないのは明らかです。


ただそこに、利害や大人の事情が絡むから、ことは単純ではなくなります。

それが政治というものであり、経済効果というものです。

その世界では、シンプルでまっとうな意見やナイーブな思いやりなどは通用しません。

冷静になってみれば誰もが引き返したいのに、どういうわけだか元に戻ることはもうできない。歴史を紐解けば、そういう事例はごまんとあります。

政治史的な見方をすれば、ほとんどそういう事例しかない、といってもいいかもしれません。


だから僕が本当に興味があるのは、実は政治史や経済史や国家間の歴史ではありません。

歴史教科書を見てもわかるとおり、一般的にはそういうものを学ぶことが「歴史」と言われているわけですが。


僕が関心があるのは、そのような状況のなかで生きたり死んだりしてきた、ひとりひとりの個人です。

政治史・経済史的には無名の、でもひとりひとりにはっきりと名前がある個人から、歴史というものを見てみたい。



この本にはさまざまな人物が登場します。

そのなかのひとりに、沖縄で聖火リレーの第一走者になった、当時琉球大4年の宮城勇という学生がいます。

ギリシャ発で世界をめぐった聖火が最初に到着する日本の地は沖縄です。その第一走者ということは、日本ではじまる聖火リレーの第一走者です。

しかし当時の沖縄はまだ日本に返還されていません。

米軍も絡んだ複雑な政治的配慮や駆け引きがあり、聖火はまず沖縄に入り、宮城に託されることになります。

ここまでは、いわばオリンピックの「政治史」です。


宮城は、彼がランナーに内定したことを知って駆けつけてきた新聞記者の口から、はじめて自分が「日本の第一走者」になったことを知ります。それまでまったく何の気配も打診もなく、寝耳に水の突然の出来事だったと回想しています。

いきなり沖縄の第一走者に選ばれ、そこから本番まで、普通の地方大学生が、怒濤の日々に巻きこまれていきます。


そして著者の夫馬さんによると、78歳になった宮城勇氏は、いまでも毎日、そのときのニュースを見返し、通勤の途上でオリンピックマーチを聞くのだそうです。


あれから57年経って、彼はいまでも毎日、自分の人生の頂点だったあの日の映像を見ているということです。

こういうのは個人史であり、そういう人生に、僕は関心があります。


宮城さんのくだりは比較的幸福な事例ですが、世界には、歴史には、政治やらなにやらに翻弄された人たちがたくさんいます。

本書は、オリンピックという国家イベントに翻弄され巻き込まれ、そのなかで一所懸命に走ろうとした個人に焦点を当てて書かれた本です。


さっきまで夫馬さんと会っていたのですが、

「ノンフィクションライターとしては弱点なのかもしれないが、自分は取材相手やその家族が悲しんだり辛く思ったりするような本は書きたくない。私の本には、そこまでの価値はない」

と言っていました。

あえて口にする自己卑下が夫馬さんらしい言い方なのですが、実際のところは、その姿勢こそが「この本の価値」なのだと思います。



政治を批判することには、現状を嘆くことには、興味がない。

ただ、過去にそこにいた誰かに思いを馳せてみたい。

そして近い未来に起こることを、幾ばくかの恐れとともに、しっかりと見届けておきたい。

いま、そういうオリンピック観が――歴史観が――あってもいいのかもしれません。


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