たとえばあと3駅くらい、目的の駅までほんの数分。
あるいは待ち合わせ場所にちょっと早く着いて、相手が来るまであと5分。
なにかを読みたいけれど、新しい文章を頭に入れるには短すぎる。
そんなときに、とりあえず開いてしまう読み慣れた本ってありませんか。
さっと読める安心安定の時間つぶしであり、それでいて、読みかえすたびに新鮮に楽しく、ドキドキする。
僕にはそういう、もう何度も何度も読んでいて、どこから読み始めてもどこで読みやめてもいい本がいくつかあります。
そこに何が書かれているのか、もうほとんど頭に入っているんだけど、でもちょっとした時間にさっと数ページ読み返して、そのたびに飽きない本。
そういう本をいくつかkindleに入れています。
村上春樹『遠い太鼓』
結果的に、春樹作品で一番読み返しているかもしれない。
ギリシャとイタリアの旅行記。
すごく分厚くて、どこから読んでも楽しい。
春樹がまだ「セカイのハルキ」ではなかった頃の、伸び伸びとした生活者としての表情が魅力です。
パスタを茹でたりそこらを歩いたり、家や車に不満を言ったり、といった内容が延々と続く。それだけのことなのに、自分の暮らしを自分で組み立てる心地良さを感じさせてくれます。
菊地成孔『スペインの宇宙食』
ミッドナイトフットボールもアイラーの青いほうもよくパラパラ読み返しますが、やはりなんといってもこれ。
饒舌でペダンチック。スピーディで軽薄。見事に無意味。
最近はあまり熱心に追いかけていないけれど、こんな人がいるのかと、最初に読んだときはものすごく衝撃を受けました。
文章を読んでいるだけで快楽、というこの感じは、この人が私淑する蓮見重彦にも通じるものがあります。
泉鏡花『婦系図』
華麗にして無意味、という点では、これも極北に位置します。
先生が妾宅で弟子を叱り飛ばすシーンは、もう何度読んだかわかりません。
とにかく圧倒的な迫力と言葉づかい。
現代の倫理観からみれば酒井先生はむちゃくちゃな男だし、小説としては構造が破綻していますが、そんなことはこの輝ける言葉の前には関係ない。
酔うというか溺れるというか、読んでいるだけでうっとりと胸苦しくなるような文章。
マルクス・アウレリウス・アントニヌス『自省録』
五賢帝。僕にとってマルクスはこの人のこと。
箴言集なので、断片的な読み方に適しています。これまで挙げた本とは違い、この本は無意味ではない(笑。そして無意味だから駄目だといっているわけではまったくありませんので。無意味と無価値はまるでちがう。念のため)。
僕のkindle版のこの本には、ものすごい量のハイライトが引いてあります。
「一万年も生きるかのように行動するな。不可避のものが君の上にかかっている。生きているうちに、許されている間に、善き人たれ」
落合務『落合務のパーフェクトレシピ』
愛用している料理本はいろいろありますが、これもそのうちのひとつ。
レシピが語り口調なのが楽しい。
普通なら「肉を脂ごと鍋に移す」と書くであろうところを、「肉を鍋に移しましょう。油も入れちゃっていい。鶏のうまみが出ているからね」と書く饒舌さ。これも「無意味ではない」本ですね。
出来合いのハンバーグでミートソースを作る方法など、横着・簡単なのにきちんと美味しい(このミートソースは昨夜も作った)。
あと五分の空き時間。 ぼくはこんなものを読んでます。
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