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  • 執筆者の写真みずき書林

これを読んでくれている人へ


最近、たまに知り合いから「ブログ読んでます」といったことを言われることがあります。

そんなときは咄嗟に、ああどうも。とか、お恥ずかしいことで。などとモゴモゴ言って話題を変えようとしてしまいます。

こうやって誰でも見られるかたちで晒している以上は、そして毎日書いている以上は、もちろん誰かに読んでほしくて書いているわけだし、読んでいると伝えてもらえると素直に嬉しいのですが、それでもなんとなく照れるのです。

書いている間は、知り合いの誰彼を頭に浮かべながら書いているわけですが、実際にそういう話題になると、するっと逃げようとします。

いまだにPVすら確認したことがありません。

少なかったら凹むし、予想より多かったら慌てるし。


このテキストは、多少ロマンチックに表現すれば、ボトルに入れて離島から流す手紙のようなものです。

たぶん誰かが拾って読んでくれています。でも、いきなり「読んだよ」と言われると面食らう(笑)。


そういったことを小さな一例として、ここのところ、人とのつながりを感じることがしばしばあります。

いま交流している人たちとの結びつきが深まっています(良い本を作りましょう)。

その知り合いの知り合いが知人だったり(狭い世界ですね)、昔からの付き合いの人がひさしぶりに連絡をくれたり(先生が亡くなったのは残念だった)、新しく知り合った人と親しく話をするようになったり(このあいだは散らかしたまま帰ってすいません)。

会いたいと思っているけれど会えない人もいます(元気してるかい?)。

ここで別れたら、おそらくなかなか会えなくなってしまうだろうなという人もいます(明後日も送別会があります)。



……などと書いていたら、ちょうどいま旧知の先生からお電話いただきました。

僕自身は一度も一緒に本作りをしたことはなかったけれど、もう7~8年前に深夜まで痛飲したことがきっかけで(クリスマスイブの夜でした。おかげでタクシーが捕まらずホテルに泊まる羽目になりました。あんなに酒気しかないイブを過ごしたことは後にも先にもありません)、以来ときおり雑談を交わす方でしたが、不意にお電話いただきました。

お話しするのはすごく久しぶりでした。

定年退職されたとのこと、お互いひとりになったということで、そのうち会いましょうという話になりました。

予想もしていなかった方が気にかけてくださり、ありがたいことです。



上述の通り照れ屋で面倒な性格なので、なかなか人づきあいが上手ではないのですが、こういったつながりを大事にしていきたいなと素朴に思います。

おそらく、それはこの先の人生で大切にすべきことの最上位に位置することです。

おそらく、この商売で僕が金持ちになることはありません(苦笑)。

おそらく、自分が豊かか貧しいかと考えるとき、指標になるのは、金銭的なことよりも対人的なことです。

おそらく、いま僕が眩しく見ている人たちは、そういう豊かさと明るさを湛えています。


おそらく、こんなことは生真面目に書くようなことではありません(大苦笑)。

真面目に書けば書くほど、なんだか陳腐なきれいごとのように聞こえてしまいます。


だからこれを読んでくれた人は、次に僕に会っても「読んだよ」と言わないように。




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