『タリナイ』の話題が続きます。
(今週はずっとそんな感じになる予定です)
本日は昼の上映。
劇中には、マーシャルで餓死した日本兵、佐藤冨五郎さんの日記が、字幕とナレーションで挿入されます。ナレーションは若い女性の声で、それがいっそう、死にむかう日記の記述を際立たせます。
マーシャルの美しい風景、明るい音楽、画面内で歩き喋り歌う人々と、かつてこの地で死に向かっていた冨五郎さんの対比に、心が揺れます。
そのナレーションに、こういう一節があります。
昭和19年8月15日
腹ガ空イテハ目廻(目眩)ガスル、
昨夜ハ歯ガ痛ンデ泣カサレタ
この字幕とナレーションが画面に浮かび上がった瞬間に、唸るようなため息が聞こえたのが印象的でした。
冨五郎さんがこの一文を書いた日付は、19年8月15日。
ちょうど1年後に、戦争は終わります。
その日付が、誰かのため息を生みだしたのは間違いなさそうです。
冨五郎さんはこの日から約8カ月後、20年4月25日に「日記書ケナイ 最後カナ」と書き残し、翌日亡くなります。
我々は冨五郎さんが死ぬことを知っていますが、映画を観るたびに、何とか生き残ってくれないかと願ってしまうことになります。
この一文のあと、同じ日の記述です。
同年兵二名(原田桜井)共モ体悪ク休ンデ居ル
この原田さんという同年兵こそが、生き残って日記を届けた戦友です。
同じ日に体調を崩していた原田さんは生きて、冨五郎さんは亡くなりました。
冨五郎さんの人生は、単純に幸せだったと呼べるようなものではなかったかもしれません。
(どのような人生であれ、39歳で、見知らぬ外国で餓死して終わる人生を、簡単に「幸せ」とは言えないはずです)
しかし、日記が遺って息子に伝わり、息子の熱意がどんどん下の世代を招き寄せてこういう映画になったことを思うとき、単に不幸であったともいえないのかもしれません。
たとえ本人は、日記が息子に届き、それがもっと若い人の手で映画として残されることを知ることはなかったとしても。
暗い劇場内で太く低いため息を聞いて、そんなことを考えました。
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