9月28日(火)
はじめての抗がん剤治療の日。
早く起きて朝食、犬の散歩。
8時30分に義妹夫婦が来る。今日は一日、妻が病院に同行してくれるので、クリームの面倒を見てもらうために留守番を頼んでいる。
9時半にがんセンター着。
すぐに採血・採尿。
11時から診察の予定だけど、これまでの少ない経験でも、1時間以上は押すことは確信している。
受付に待ち人数を聞いておおよそ12時頃になると読んで、最上階のレストランで早めの昼食。妻はエビクリームパスタ。僕は和風おろしハンバーグ。ハンバーグは某ファミレス・ガ○トと同じ味。
ただ、銀座から湾岸方面を一望できるがんセンター最上階からの眺めはすごい。
ここで昼食を済ませていたことが、あとで千金の重みをもつことになる。
12:30に診察。
先ほどの血液検査の結果を踏まえ、これから始まる抗がん剤治療の諸注意など。
13時。化学療法室へ。
たいへん親切な薬剤師さんの説明を受ける。
まあしかし、お医者さんがどれだけ信頼感のある人だろうと、薬剤師さんや看護師さんがどれだけ懇切丁寧だろうと、これから起こる(かもしれない)副作用について、「最悪の場合はこんなことが起こります」という説明なので、心楽しくは、ない。
例によって混んでいるので、投薬スタートまで1時間ほど待ち時間があるとのこと。
この間に、会計と薬局巡りをしておくといいとのアドバイスに従い、1Fで支払いを済ませて、センターから徒歩5分程度の薬局で薬の受け取りを済ませる。
先の空き時間に食事を済ませたことと、ここで会計と処方箋手続きを済ませたことは、なかなかいい動きだった。われわれもちょっと手練れな感じになりつつある。
14時30分。いよいよケモ開始。
部屋には、わりと豪華なリクライニングチェアがずらっとたくさん並んでいる。
右手首に点滴。
「どこにも行かない飛行機みたいなものだと思ってください」と看護師さんの冗談。なるほど。あまり心楽しいものではないが、たしかにファーストクラスみたいな椅子ではある。
オキサリプラチンという、なんだか置き去りみたいな名前の薬。
その名のとおり、シートに放置されて、2時間30分のフライト。
持参したテッド・チャンの短編小説集を読み直したり、途中でうとうとうたた寝をしたり。
(緊張していたはずだが、ちゃんとうたた寝できたのは、我ながらよかった)
17時、終了。支払いを済ませているので、そのまま帰宅。
体調にはとくに変化はない。副作用は、少なくともすぐには出てこないようで、一安心。
我ながら時間の使い方はベストを尽くしたと思う。しかしそれでも、1日仕事であることにかわりない。
三越の地下で、ずっと留守番をしてくれた義妹夫婦にちょっとだけギフトを買って、日比谷線で帰宅。
義妹夫婦を見送り、夜の犬の散歩。晩御飯。昨夜作り置きしておいた、おでん。
いきなり副作用が出なかったのでよかった。と思っていたら、ひとつだけ出た。
冷たいものを飲んだり触ったりしたら、「びりびりする」かもしれないと言われていた。
夕食の支度のため、冷蔵庫に入れていたおでんの鍋を出そうとしたら、鍋に触れた指先が、びりびりした。
痛くはない。冷たく、しびれるような感じ。冷え切ったスマホかゲームのコントローラーが指先に内蔵されていて、そのヴァイブ機能がいきなり作動したような。なんとも言えない気色の悪さ。
まだまだこんなものは序の口とわかってはいるが、しかし、早くもしっかり作用してくる薬物に、いささか不気味なものを感じる。
どういうことかというと、僕はまだ癌の苦痛に対して、自覚症状がない。
痛みや辛さが自覚できるなら、それを食い止めるための抗がん剤治療の意味も実感できるし、副作用に耐えることもできると思う。
しかし、幸か不幸か――もちろん、幸運なことなのだが――ぼくは癌が引き起こしている痛みやしんどさの症状がないままに、抗がん剤治療を始めることになった。
だから癌にたいしての恐怖や憎悪は、実のところは、それほどでもない。
いっぽう、抗がん剤については、軽微なものとはいえ早速に副作用があり、かなり強力な薬物≒異物を体内に入れられたことが実感としてわかる。
加えて、上述のように癌の自覚症状がないだけに、薬の副作用は、それ自体が耐えるべき中心的な不愉快さになってしまっている。
いまの正直な感情を書くと、癌より以上に、抗がん剤に対する恐怖や警戒感のほうが強い。不思議なことに。
癌が致死的な病であることはもちろん理解しているつもりだし、抗がん剤を入れるからこそ、症状が喰いとめられていくこともわかっている。でも、癌自体よりも、それに抗するべく注入される薬物のほうが、よりいっそう異物感が強い。
こういうことも、やってみて初めて実感としてわかる。
明日以降、どういう体調になるのか。
副作用はほんとに個人差があって、かなりしんどい症状が複数でる人もいれば、まったく症状が出ない人もいるらしい。
願わくば、きつい症状が出ませんように。
そしてもし出たとしても、それに耐えうる勇敢さを持てますように。
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