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  • 執筆者の写真みずき書林

ジェトニル=キジナー『開かれたかご』


キャシー・ジェトニル=キジナー(一谷智子訳)『開かれたかご マーシャル諸島の浜辺から』(みすず書房、2023年)を読む。


この詩集を理解するためには、マーシャル諸島共和国について、いくつかの基本的な事実を知っておいたほうがいい。もちろん知らなくても読み進めることはできるが、基礎知識として知っておくことは読みを助ける。それに、それらの基礎知識は、単に詩集を読むための補助線のみならず、われわれ日本人が歴史として知っておいたほうがいい事実でもある。

ごく簡単に言うと、その基礎知識とはマーシャル諸島が以下の4つの舞台になった(なっている)事実ではないかと思われる。


①マーシャル諸島はかつて日本の支配下にあり、アジア太平洋戦争では激戦の舞台となり、米軍の飛び石作戦によって兵士にも島民にも多くの餓死者を出した。


②戦後はアメリカの支配下に置かれ、度重なる核実験の舞台となった。日本では第五福竜丸が被ばくしたビキニ事件が有名だが、その回数は67回にも及ぶ。多くのマーシャル人は故郷を追われ、癌や甲状腺異常で苦しむことになる。


③1986年に独立を果たすものの、アメリカとの協定により、財政援助の代償として軍事権を明け渡すことになった。これによって米軍の基地とミサイル実験の舞台となり続けた。また経済援助とはアメリカの消費文化が大量に入ってくることであり、マーシャル人の肥満・糖尿病・アルコール依存症は増加し、廃棄物による環境汚染も進んでいる。


④地球温暖化による海面上昇の影響を強く受けており、このまま気温上昇が続けば海中に没してしまう危険に晒されている。マーシャル諸島は、先進国の環境破壊による温暖化の影響を最前線で受ける舞台となっている。


詳しい歴史的事実や年号はひとまず措いておいて、ざっと以上の4つの舞台になったという程度の基礎知識はあってもいいだろう。(そのために本書後半の詳細な解説が大いに役に立ちます。なお解説と訳者あとがきには、我らが大川史織さんも登場します。さすがですね)

というかむしろ、これら歴史的事実を知らしめるために、知らない人たちに伝えるために、これらの詩があるといってもいいかもしれない。


いずれにせよ、こういった事実を知る者にとって/知ろうとする者にとって、ジェトニル=キジナーの詩は、とても強くしなやかに訴えかけくる力をもっている。

詩の一部を抜き出して引用することには抵抗があるが、たとえば「伝えて」という詩の以下の一節。


「でも一番伝えてほしいのは

わたしたちはどこへも行きたくない

何があってもここから離れたくないのだということ


そしてこの島々を失えば

わたしたちはもう


わたしたちではなくなるのだということ」


誰にでもわかることばで、誰でも想像できる感情を表現し、海面上昇によって故郷を失う恐怖と悲しみをうたう。ジェトニル=キジナーの詩の多くは、このような極めてわかりやすいことばで綴られている。

われわれ日本人には、自分の家や故郷が海に沈むことを想像することは難しい。でもジェトニル=キジナーのことばはとてもわかりやすく的確で、われわれは彼女の悲しみや怒りを想像することはできる。そして彼女が何に憤り、涙しているのかと疑問に思うとき、われわれはマーシャル諸島に一歩近づくことができる。

先述の4つの舞台としてのマーシャルを知っているに越したことはない、しかし知らなくても、この詩を違和感のきっかけにして、そのような事実を知ろうとすることはできる。

ジェトニル=キジナーの詩はわかりやすく、われわれの感情をゆさぶる違和感に満ちている。まさに詩の本来的な力が遺憾なく発揮されているといえるだろう。

(難しい訳語を使わず、明解なことばづかいに徹していると思われる翻訳も素晴らしい)


日本とマーシャルの関係はまだまだ弱い。とりわけ、日本からマーシャルを見る視点が弱く偏っている。かつて大川史織はマーシャルにいると見えているものが日本に戻ると見えなくなる、と言っていた。

いま研究者やジャーナリスト・政治活動家たちの仕事に加えて、日本はマーシャルをまなざす手段として、大川の映画と一谷訳による詩を得た。ドキュメンタリー映画も詩も、伝達手段として決してマスに訴えかける広範さは持っていないもしれない。しかしそのような方法が積み重なっていくことは――顔の見える表現が積み重なっていくことは、実にマーシャルを愛する人たちらしい取り組みのような気もする。


……詩を紹介するのは実に難しい。

それほど大きな本ではない。できれば時間をかけて、詩集を通して読んでみてほしい。


*


最後に個人的なことを。

「ビアンカの弾ける笑顔」という詩がある。

これを読んだとき、ぼくは泣いた。そしてぼくもビアンカのように(マーシャル人のように?)強くありたいと思った。

そして自分の病気に自分以外の明確な原因があることは、なんと不幸で厳しいことだろうかと思った。「~のせいで」と言えてしまうことは、逃げ場や怒りを容易に生むだろう。がんになったマーシャル人たちは、「アメリカのせいで」と言えてしまう。そのことは、決して精神を健康にはしないだろう。


「こんなことはたいしてめずらしくはないのだと

あなたは自分に言い聞かせる

こんなことって?

めずらしくはないのだ

マーシャル人の多くが

がんにまつわる言葉を習得しているのは

英語がよく分からないビアンカも

血球という英語の意味を知っている

骨髄、カテーテル

そして寛解導入療法という言葉の意味も」




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