昨日はジュンク堂書店でのオンラインイベント。
諏訪敦さんと武田一義さん、大川史織さんによる、
『なぜ戦争をえがくのか』刊行記念
〈もうそこにいない人の記憶〉をえがく方法
考えさせられる視点が満載の、よい流れでした。
個人的には、
「ネームは〈殺すこと〉、絵を描くことは〈自分も死ぬこと〉」
という武田さんの発言からの流れが興味深いものでした。
コマ割りをして下絵を描く段階では、キャラクターを殺していく感覚があるとのこと。
これは、まず健康な女性をえがいてから、それを同じ絵のなかで徐々に殺していったという諏訪さんの《HARBIN 1945 WINTER》の制作方法と見事に呼応していました。
そのことはさらに、『ペリリュー』の主人公の田丸が功績係であるという設定の妙という話につながっていきました。
それは、歴史をえがくときに、メタ的・現代的・作者的な視点をどう入れていくかという話題を導いていきます。
「現代人としての自分の視点をどう/どこまで入れるのか」「体験者の語りを史実と捉えていいのか」という点も、諏訪さんと武田さんの問題意識として共通するものだったと思います。
さらにそれは、一番最後の諏訪さんの「なぜ人は絵をかくのか」という発言にも接続されるものだったかもしれません。
……いまYouTubeのアーカイブを開いたら、我々パネリストや裏方が見ていた画面と、放送されていた画面が違うことに気づきました……。
画像共有をしているときには、そのとき喋っている話者ひとりだけの顔が見えていたんですね……。
パネリスト側の画面では、3人が並んで見えていたんです。
実は誰かが喋っているときも、ほかの人の表情やリアクションが面白かったんです。
頷いていたり、考え込んでいたり、関連する本のページをカメラに映していたり、三者三様のいろんな反応をしていました。
とりわけ、諏訪さんと武田さんはふだん考えたり聞いたりしているときは鋭い目元なのですが、ときおりの笑顔や戸惑い、驚きの表情が面白かったのですが。
僕はそういう様々な表情を見ながら楽しんでいたのですが、しかし、画像共有している間は、視聴者の方には話者ひとりしか見えていなかったとは……。
画像を映すのは、僕の担当だったんです。
ふたりの絵をがっつり見ながら話を聞いて欲しかったので、前半は特に画像を写したままにしていたんですが、画像共有はほどほどにして、3人が並んで表示される時間をもっととればよかったです……。
という個人的な反省はあるものの、よい時間でした。
一ノ瀬俊也さんの本、土門蘭さんの本、庭田さんと渡邉さんの仕事、荻田さんのトーク、桜木武史さんの本など、たくさんのリンクが生まれたのも嬉しいことでした。
ご登壇くださった皆様、関係者の方々、ご視聴くださった皆様、ありがとうございました!
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