岩波現代文庫版の『ラディカル・オーラル・ヒストリー』を読み返しています。
この本には巻末にたくさんの解説が付いているのですが、そのなかにテッサ・モーリス=スズキによる「ミノ・ホカリとの対話」というテキストがあります。そこから保苅実の病気について触れた箇所を引用します。
「彼は病気や苦痛に、大胆さをもって対処した。この残酷な病が彼の人生に強いる過度の恐怖を拒否し、緊迫した状況のなかでミノは落ち込むことも拒絶した」
塩原良和による「もうひとつのあとがき」にも同じ趣旨のことが書かれています。すなわち、
「あと二ヶ月の命、と医者に宣告されてからも、保苅さんはそれまでと同じように、人生に対して前向きで、真摯だった。そして彼は本書の原稿を、ホスピスの病床で書き続けていた」
また今日は、最晩年の佐藤冨五郎日記の再読もしました。
「僕ハ四十才二十年四月末カナ。戦死ダ
病死ハ絶対シナイゾ。
ガ〈餓〉死ダ食モノナシ 」
という悲壮な、しかし強い意志を感じる文章にあらためて惹かれました。自分の死期を非常に正確に予知していることにも。
彼が戦死・病死・餓死をどのように区分していたのかはわかりませんが、少なくとも自らを戦死=餓死として強く規定していたことはわかります。
そして死の前日まで日記を綴り続けます。
いま僕は、
①自分の本を書くこと
②NHKの取材を受けること
③みずき書林の通常営業としての編集・本の制作
の3つを大きな仕事の柱としています。
それは非常に幸福なことだと思うのです。③については、驚くべき企画、僕にとって僥倖としか言いようのないいくつかの企画が同時進行しています(いずれアナウンスします)。
それはみずき書林の全盛期に勝るとも劣らない、興奮すべきプランなのです。
①と②についても、いずれ詳しく書いていきたいと思っていますが、普通のひとり出版社にはなかなか経験できないことです。
つまりこの3つはどれも、病気になったことと密接に関係しています。
僕が病気になっていなかったら、いまこの3つが同時進行することはなかったと思います。
生きていることはときにしんどい。どうして自分が、と思うときもあります。
ですがいっぽうで、だからこそ得られるチャンスもあるのでしょう。
いまはそのように考えることができるだけの材料が、僕のまわりに育まれつつあります。
保苅実の生き方は、あるいは佐藤冨五郎の死への向き合い方は、僕に大きな力をくれます。
このふたりを教えてくださった方に大きな感謝を捧げつつ、僕もこのふたりに負けないように残りの人生を過ごしたいと思うのです。
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