六本木で開催中のジョン&ヨーコの展覧会。
展覧会自体の――というかジョンとヨーコの関係性自体の――主題である、ふたりの愛とか、ラブ&ピースという観点でも、もちろん面白い。
ジョンとヨーコのド定番の見方であろう。
でも今回あらためて注目したのは、戦争とふたりの時間的な近さだった。
ジョンのミドルネームがウィンストンであり、これは第二次大戦中に生まれたイギリス男性に多い名前であることは有名な話だ。
ジョンは40年生まれで、その年はナチスがフランスやオランダに侵攻し、イタリアが英仏に宣戦した年でもある。
ジョンより年上のヨーコは33年生まれ。33年といったら、ナチスが政権を獲得した年であり、日本は満洲国をめぐって国際連盟を脱退している。
昨年、「ジョンが生きていれば80歳だった」とファンの間で話題になったが、80歳というのは、つまりそういう年齢ということだ。
ヨーコはまもなく米寿。敗戦時に12歳であったなら、その頃の記憶も残っているはずだ(もっとも最近のヨーコさんは年齢による衰えが目立つという。致し方ないことであり、その頃の記憶を取り出すことは、もう難しいのかもしれない)。
これもよく知られているように、ヨーコは財閥系の一族出身で、要するに大金持ちの令嬢だったわけだが、戦前期に深窓の令嬢だった人がどのような教育を受け、それが後年の彼女の表現活動とどのように結びついているのか。
とりわけ――芸術観も重要なのは間違いないが――その対米英観および、ヨーコ自身が自身も含めた戦後の日本人をどうまなざしてきたかが気になった。
1933年に生まれてほぼ確実に戦中の教育を受けた日本の名家の女性が、現代美術家として世界に出ていき、旧対戦国のポップスターと恋愛し、超有名人になること。アジア人・女性・有名人のパートナーという三重苦の中で生きて、それでも前向きな表現を続けていくこと。
そのことを彼女の自立心や克己心や、かっとんだパーソナリティ、イマジン的なオプティミズムによって説明してわかった気になってきたわけだが、展覧会を見て、そろそろもう一歩突っ込んだ追究が試みられてもいいのではないかと思えた。
たとえば以下のようなヨーコのことばとその下の写真を眺めてみる。
このことばは有名かつ、ぼく自身もとても好きな一節なのだが、これはジョンと出会う前に書かれている。多くの人の期待に反して、ジョンとの関係性をことばにしたものではない。
その下のいかにも名家のお嬢様然とした若いころの写真と並べると、戦前生まれの日本女性が31歳で英語で発表したテキストとして、たんに「素敵なことば」という詩的な関心以上の、いわば史的な興味が生まれてくるような気がする。
……ぼくはジョン・レノンの音楽を愛聴している者だが、考えてみれば、人間的な関心はヨーコのほうに強い。
昨日、展覧会を見てあらためて感じたことは、表現に関してのみいえば、「ジョンがヨーコから影響を受けたほどには、ヨーコはジョンから影響を受けていないのでは?」ということだった。ジョンと出会う前に紡がれた上記のことばからもわかるとおり、ヨーコは初期からいまに至るまで、表現者としてほとんどまったくブレていない。
そういう表現を、彼女はどのように獲得したのだろう。
とくに歴史的な視野のなかに置いてみるとき、生年の7歳差はとても大きいのではないかと思う。ジョンとヨーコといえば、ベトナム反戦とかニクソンと公安権力とか、その時期の反戦活動家としての一面もあるわけだが――であるならなおのこと、ヨーコのアジア・太平洋戦争への眼差しおよび、それが彼女の表現や活動にあたえた影響について、もっと知りたいと思った。
そこには、ラブ&ピースの人の原風景のようなものがあるのではないだろうか。
この日本人女性と、7歳下のイギリス人の男は、自分たちを激しく分断していた〈あの戦争〉について話し合ったことはあったのだろうか?
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