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  • 執筆者の写真みずき書林

保苅実と時間

2020年の10月にこんな文章を書いていました。



保苅実の『ラディカル・オーラル・ヒストリー』の巻末には、塩原良和先生の「あとがき」が載っています。

すごく長くなりますが、その冒頭を引用します。


「自分の身体と対話している」と、保苅実さんは病床でよく言っていた。自分はとても貴重な体験をしていると、真顔で言うのだ。最初、わたしは信じられなかった。なぜならそこは病院で、彼はきわめて進行の速いガンに侵された患者だったのだから。

メルボルンで闘病生活を送っていた彼の看病を手伝うために、当時シドニーに住んでいたわたしは、友人たちとともにときおり彼のもとを訪れた。保苅さんは、キャンベラでいくつもの共同研究をふたりで行っていた頃と、まったく変わらなかった。むしろ、病をつうじた「身体との対話」は、彼本来の性質であったスピリチュアルなもの、ポスト・セキュラーなものに関する感性を、ますます研ぎ澄ましていったのではないか。

あと二ケ月の命、と医者に宣告されてからも、保苅さんはそれまでと同じように、人生に対して前向きで、真撃だった。そして、彼は本書の原稿を、ホスピスの病床で書き続けていた。保苅さんはよく、この本を通じて、歴史をめぐる「声の複数性を表現したい」といっていた。彼の頭脳は、いまやますます明晰だった。その振る舞いには、悲壮感のかけらもなかった。「美しく生きたい」と彼は言っていた。「コミュニケーションは双方向的であるほうがいい」とも。この期に及んで、彼はまだ、人とのつながりから生まれる何かを信頼していた。


書き写していて、バカみたいに涙が流れます。

僕は彼のように生きたい、あるいは死にたいと思います。

もう何度目になるのか、僕はまたこの本を読み直さなくてはなりません。


今日、ある人と保苅実についてメッセージをやりとりしました。

今野日出晴先生から戦争体験の継承に関する抜き刷りが届きました。

新しい企画がお腹を蹴りはじめました。


このあとの塩原先生の文章は「彼に足りないのは時間だけだった」と続きます。

僕がこういうことを書くと驚かれる方もいるかもしれませんが――たぶん僕にはまだ時間があります。

その時間をどう使うか。

時間のことを考えると秒で泣けます。泣いてもいいと思っています。

いまさら明晰になることはできませんが、しかし前向きで真摯であることは見習えるかもしれません。


5年目の花水木も咲き始めました。



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