『月刊保団連』(8月号、No.1299)にて、長崎県の医師・本田孝也先生が「冨五郎日記の医学的考察(上)」を寄稿されています。
タイトルのとおり『マーシャル、父の戦場』で翻刻した冨五郎日記から、冨五郎さんの死因を医学的に考察した論考です。
本田先生は、冨五郎さんの死には、医学的にみてひとつの謎があると述べます。
ごく簡単にいうと、
〈離島勤務をしていたころは比較的体調がよかったにもかかわらず、本島に戻されてから死ぬまでが早すぎる〉
という謎です。
本田先生は日記を詳細に読み解き、身体の変化および食料についての冨五郎さんの記述を丹念に拾い集めていきます。そして、
「症状から、心不全、特に右心不全を発症し、下腿浮腫が急速に進行したものと考えられる。栄養失調による低蛋白血症も浮腫を助長した」
「心不全による陰嚢水腫の症状と考えられる」
「冨五郎氏の症状は、まさに「脚気兼栄養失調」に該当し」
と、日記の記述内容から、当時の冨五郎さんの状態をより詳細に検証していきます。
しかし当時の島の食糧事情を精査すると「本島に帰ると急に病状が悪化する経過は脚気では説明できない」とします。
そのうえで、マーシャル諸島住民のヨード欠乏症に絡めて、ひとつの仮説を立ち上げます。
「冨五郎氏も重度のヨード欠乏状態にあり、栄養失調に加え、甲状腺機能低下症から心不全を発症して死亡したのではないか」
今回の(上)はここまでで、(下)ではこの仮説が検証されることになります。
『マーシャル、父の戦場』には、映画監督、音楽家、タレント、通訳、元大使をはじめとして、古代史から近現代史までの歴史学者、心理学者、社会学者などが執筆陣に連なりました。
でも医学関係者はいませんでした。
いままでたんに「栄養失調」としてきた冨五郎さんの状況を、医学的観点から詳細に検証した論考は、可能ならば本書にも収録したかったものです。
「冨五郎さんは――兵士たちは、なぜ死ななければならなかったのか」という問いに対して、時代状況や歴史的観点などマクロな考察は扱ったつもりです。
しかし、ひとつの肉体として、個人的な身体がなぜ餓死することになったのか、というミクロの考察も大切なのだと教えられました。
(下)もぜひ拝読したいと思います。
なお本田先生の論考が載っていてる『月刊保団連』8月号の特集タイトルは「戦場のリアルと医療」。
巻頭には渡邉英徳先生の白黒写真のカラー化の特集があり、巻頭言は早乙女勝元先生。安田純平さんも寄稿しています。
巻末の書評ページには、同じく本田先生の筆で、『マーシャル、父の戦場』の書評も掲載くださっています。
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