• みずき書林

分かちあうことと分かりあうこと――土門蘭『経営者の孤独。』3/4


中澤睦雄「「僕のやっていることを心から親身になって考えてくれる人は、誰もいない」ということ」(『経営者の孤独。』P93)


いようと思えば、ずっとその会社にいることもできたと思う。 辞めると言い出したのは僕だし、誰も僕が辞めるとは思っていなかったのだから。 ある程度の我慢さえすれば、今でも僕はそこにいたはずだ――そして「ある程度の我慢」など、当時の僕にとってはさほど難しくもない、business as usualだったはずだ。

でも僕は16年も勤めた会社を、不意に辞めた。なぜだろう?


ポジティブな理由は、やりたい企画があったから。 ニュートラルな理由は、もうすぐ40歳になるところだったから。 ネガティブな理由は、そこがもう自分の居場所だとは思えなかったから。


ポジティブな理由もニュートラルな理由についても、書きたいことはたくさんある。 とくにポジティブな理由について書くのは楽しいことでもあるし、当時のわくわく感はいまに直結しているから書きやすくもある。 でもここは最も書きづらい、ネガティブな理由について書いてみることにする。


ここはもう自分の居場所ではないとじわじわ感じていくのは、しんどいことではあった。 「自分の居場所はもうない。むしろ自分はいないほうがいい」という被害妄想にとりつかれるようになったら、もはや末期症状である。 僕は社長として、この会社をよい方向にリードすることはできなかった。

辞める半年前の夏に、僕は働き方の改革を行おうとした。就業規則をあらため、36協定を結び、タイムカードと残業について見直しをした。いわゆるクラシックな体質を変えたかったからだ。 改革は中途半端に成功し、大筋では失敗した。ルールが動き始めて残業時間と濃いグレーな部分が減ったという意味ではある程度成功だった。社員がだれひとり嬉しそうな顔にならなかったという意味では完全に失敗だった。ある意味では、彼らの多くはサービス残業をしたがっていた。彼らが欲していたのは自由な時間ではなく、働くことの正当性だったのかもしれない。

自嘲気味にいえば、ここでも僕のモチベーションの根底にあったのは、皆から好かれたいということだった。そしてそれは失敗した。僕は友達・仲間的な意識をもったまま、経営者的な動きをしようとした。あるいは、僕は会社のため・社員のためと言いながら、義務感にかられてプロジェクトを進めていたとも言い換えられるだろうか。いま気がついたが、一番楽しくなさそうな顔をしていたのは僕だったかもしれない。みんなはそれに戸惑ったのだと思う。

働き方を変えようとすることは、ある意味ではいままでやってきたことの否定でもあったから。

16年間勤めてはじめて、僕は辛いなと思い始めていた。


この働き方改革を試みていた間に、たくさんの本を読んだ。『経営者の孤独。』はまだ刊行されていなかったが、それに類する本をいくつか読んだ。 本人たちは意識していないだろうが、その頃出会った人たちの影響もあった。 そして僕はクラシックではない働き方に憧れるようになっていったのだと思う。 そしておそらく、僕の友達感・仲間感にも変化が生じていたのだと思う。


『経営者の孤独。』にならって、ここまでひとりで脳内インタビューをするような気持ちで書きはじめたが、ちょっとしんどくなってきた。

読み返してみて、あの頃は気持ちにゆとりがなくなっていたんだなと思う。他にやりようがあったようにも思う。 願わくば、当時の社員がこれを読んでいませんように。



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