• みずき書林

原田豊秋さんを探しています。


BuzzFeed Newsにて、貫洞欣寛さんが読み応えのある記事を書いてくださいました。

大川史織さん制作の映画『タリナイ』と書籍『マーシャル、父の戦場』について、制作過程を丁寧に追いつつ、日記についてもくわしく紹介くださっています。


このテキストの最後に、原田豊秋さんのことが書かれています。

僕も原田さんについて何か書きたい! と思ったので、以下原田さんについて少し書きます。

編者が作ったポップ。懸命なのです。

映画『タリナイ』の大きな原動力になり、『マーシャル、父の戦場』の根幹を成すのは、マーシャルで餓死した日本兵・佐藤冨五郎さんの日記です。

冨五郎さんはほんとうに死の直前まで、日記を綴りつづけていました。

映画では、字幕とナレーションのかたちで、冨五郎日記が紹介されます。

書籍では、コラムや注、当時の時代背景がわかるニュース速報風の年譜とともに、その全文が翻刻されます。


マーシャル諸島では多くの日本兵が亡くなっていて、日記が家族のもとに戻る可能性はきわめて低かったといえます。

そんななかで奇跡的に生き残り、冨五郎日記を持ち帰ったのが、無二の戦友だった原田豊秋さんです。

原田さんがいなければ、日記は息子である勉さんに届くことはなく、誰に読まれることもなかったでしょう。

いうまでもなく、戦後にたくさんのひとを巻き込みながら、映画や本として残されることもありませんでした。


つまり、原田さんは冨五郎さんと多くの人びとを結びつけた、一番最初の〈つながり〉となった人です。


しかし残念ながら、戦後の原田さんの消息はまったくわかっていません。

大川さんのいままでの調査では、日本に戻ってからの足どりはつかめていないのです。



原田さんについてわかっていること。


1.日記が遺族のもとに届いたのは、昭和21年(1946)12月ごろ。そのころ、原田さんは山梨に住んでいたらしい。

2.日記によると、原田さんは冨五郎さんと「同年兵」と記されている。となると明治39年(1906)頃の生まれである。

3.マーシャルでは、冨五郎さんと同じ第64警備隊に所属。階級も二等兵曹で同じで、7.7mm機銃射手であった。

4.栄養失調のため、最初の病院船氷川丸に乗って1945年9月25日に内地へ帰還している。


以上となります(訂正・追加などあればご教示ください)。


これらのことは、冨五郎日記および、日記が家族の元に届いた際に同封されていた原田さん直筆の手紙、そして「第六十四警備隊功績整理簿」によって判明したことです。

(手紙が入っていた封筒は、長い年月のなかで残念ながら紛失してしまっています)


どのような些細なことでもかまいませんので、何かご存知の方がいれば、小社までご連絡いただければ幸いです。


株式会社みずき書林 岡田林太郎

〒150-0012 東京都渋谷区広尾1-7-3-303

TEL:090-5317-9209

FAX:03-4586-7141

rintarookada0313@gmail.com


編者の仲間である金曜調査会によるポップ。右端に「原田豊秋さんをさがしています」の文字。


なお、上記の原田さんの手紙は、立ち読みページから全文を読むことができます。


「中隊長が私の顔を見て、大きな声で原田おそかったよ。佐藤がな、お前に逢ひたがって原田、々々と云ひつヾけて今朝四時に死んで亡くなった。と云われた時私の心は到底筆舌に告くす事は出来ません」


「思へば生前元気で語り合ったのに今は永遠にかえらぬ人となった佐藤君。ねがわくば君の家族の行く末幸福を草葉の蔭より守ってやって下さい頼むと心の中でくりかへし涙を呑んで土をかぶせねんごろにうずめてやりました」


「私の顔を見た若い兵隊が防空壕より二ツの手帖を持って来て、之は佐藤様が生前原田様に逢ったら此の手帖を頼んでくれと云われましたと私に其の手帖を渡されました。私が万一内地に帰ったなら必ずお渡し致しますと今一度手を合せて其の場を去りました。以上の文面には少しのいつわりも御ざいません」



冨五郎さんの遺児・勉さんは、原田豊秋さんのご家族に会うことができればと願っています。

もしもそれが叶うなら、日記をめぐってマーシャルと日本を結んだ円環の一番最初にして最後のひとかけらが、70年以上を経て埋められることになります。



『マーシャル、父の戦場』より。戦友たちの日記内の登場箇所を図化した労作。





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