ひとりになってみて、半年が過ぎました。
この間に名刺交換をした人は、221人。一日平均ひとり以上の新しい人と出会っていたことになります。
この人数が多いのか少ないのかわかりませんが、名刺そのものは、見返すことはまずないですよね。
増え続ける名刺の管理は課題ですが、僕は某名刺管理ソフトを使用しています。
スマホで撮影すると、OCRで自動で文字情報を読み取って登録してくれます。
ロゴなどがあるとミスもしますが、普通の文字であればなかなかの精度です。
スマホのアプリとパソコンが連動していて、一度読み取るとGmailのアドレス帳にも自動で同期されるので、なかなか便利です。
パソコンからはCSVへの吐き出しもできますし、あまり使っていませんが、メッセージ送信機能などもあるようです。
ところで、一回名刺交換したくらいでは、そのあと短期間に繰り返し会うか、長時間話し込むなどしないかぎり、なかなか相手の顔と名前を一発で覚えるのは難しいですよね。
たぶん以前にもお会いしてますよね~などと言いながら同じ相手と2回目の名刺交換をする、といったこともしょっちゅうです。
なので、会った日付とどこで会ったかを、名刺の裏にメモするようにしています。
「181020 研究会@早稲田」
などとメモしておくと、思い出すときのヒントになります(それでも忘れるものは忘れますが)。
ついでに書くと、そんな体たらくなので、以前から立食パーティが苦手です。
人の顔と名前を覚えられないうえに、自分が覚えてもらっているという確信もまったくありませんから。
ひとりになる前の話です。
左手に乾きかけたサーモンと鯛の握り、薄いローストビーフと一口大のホタテのグラタンが乗った皿を持って、右手の全ての指を駆使してビールグラスとフォークを小器用に持って、どーもどもどもどもどもやーご無沙汰してますうーなどと笑いながら人と人の間を縫っていると、汚れ多き大人になってしまったような気がして、とても疲れます。顔が急速に脂ぎってきたような気がします。革靴の中で蒸れていく足指が意識されます。ネクタイで締めつけられて喉が苦しい。
知り合いと会う。目と目が合う。相手に、この人誰だっけ? という気まずさを感じさせないための気遣いとして、大きな声で社名と名前を名乗りながら近づいていきます。近づきながら、かつて本を出した著者なのか、だとしたら単著なのか論集の執筆者なのか、その本は売れたのか売れなかったのか、もしくは現在進行中の企画の著者なのか、だとしたらすでに入稿されて校正が回っているのか、〆切を大幅にぶっちぎって恬然としている困ったちゃんなのか、あるいはそもそも一緒に仕事をしたことのない人なのか、だとしたら一体どういう付き合いだったのか、瞬時に判断しなければなりません。鰻の幇間みたいな話です。どーも大将、しばらくでございました。いやもう、馬鹿なお元気。おや、ことによるとあなたかもしれないなーと思ったんだ、ええ、そしたらやっぱりあなただったんだー。わかってますよ、そりゃもう。
そのようにして、僕とその人は出会い、対話が始まります。傍らの丸テーブルのうえに、それぞれが両手に持っていた鹵獲品をいったん置いて、ビールを注ぎあって軽くグラスを合わせたなら、大人のお仕事の幕開けです。
僕たちは学界の噂話や人事異動についての情報を交換します。
僕の質問に答えて、相手はいま関心を抱いている研究領域について語り、相手の質問に答えて、僕はいま進めている出版企画について説明します。
最近の学生がいかに勉強しないか、いかに本を買わないかについて嘆きあったら、校務が忙しくて研究ができないことへの憤懣に相槌を打ち、手を取り合わんばかりの勢いで人文学の未来を憂えます。
古き良き時代の偉大な学者たちの驚嘆すべきエピソードが披露され、大学教授が懲戒解雇されるときにつきまとう女性と助成についての自虐的なジョークで大げさに笑い合います。
いやーお目にかかれてよかった引き続きよろしくお願いしますーと言って互いに37回ずつくらい小刻みに頭を下げあったら、にっこり笑って第1ラウンド終了です。
それから飲み物をワインに変え、新しい皿に照り焼きのチキンとスモークサーモンと海老のマリネを補充したら、ラウンド2ファイッ。
新たな相手を求めて人混みを縫い、めでたく巡り合えたなら、いそいそと丸テーブルの傍らに移動します。ワイングラスを軽く合わせたなら、学界の噂話や人事異動についての情報を以下同。
言うまでもないことですが、本質的で有意義な対話をしているわけではありません。立食パーティでは話の中身は関係なく、ただ「話している」という事実のみが大事です。アルコールを分け合い、一定の時間を笑顔と音声で埋める作業を共有すること。そのことによって、ここに集っている全員が同じひとつの共同体に所属していることを確認しあうこと。それが立食パーティの本質です。
本来下品であるとされる「立ち食い・歩き食い」が、なぜホテルや大学会館といった場で堂々と行われて、高等教育に携わっているとされる人々がそこに集うのか。先住民族のポトラッチが研究対象となるのなら、文明化された社会における立食パーティも文化人類学の対象になってもいいくらいです。
そして、そのような研究が行われるときには、ぜひ一章を割いてほしいテーマがあります。
「知り合いが見つからない人びとの行動と心理――いわゆる〈壁の花〉について」。
知り合いがいてラウンドを重ねられているうちはまだいいのです。徒労感と虚しさに苛まれることもありますが、話す相手がいるうちは気も紛れるし、そのコミュニティのメンバーだと感じていられます。
問題は、話す相手が誰も見つからないときです。ビールグラスを持って会場中をひとまわり。知った顔がひとりもいません。握りしめたビールがぬるくなっていきます。早く次のスピーチが始まればいいのにと願います。いまなら僕はいい聴衆になれます。
そういうときに見ず知らずの相手に気軽に話しかけられるタイプの人もいると思います。が、僕はそうじゃない。あまり社交的じゃないのです。
最近はそういう場にいくこともめっきりなくなりましたが、前職の後半頃は、この手の知り合い不在のパーティに顔を出すことがたまにありました。
避けられない事情で顔だけは出さないといけませんが、いざ会場に入ってみるとまるで知り合いがいなくて、乾杯が終わってご歓談を、となった途端に時間をもてあまします。ビールをちびちび飲みながら、会場の隅っこでメールチェックをしたりします。もう全然面白くもおかしくもないのです。
これも以前の話ですが、この季節になると顔を出さないといけないパーティがありました。某著者の誕生パーティ。会場は、都心にある誰もが知る老舗ホテルの宴会場。そんなところで毎年誕生パーティをするくらいだから、有力者です。あまり詳しいことは書きたくありませんが、論壇の重鎮。日本の行く末を憂えるover80です。
新刊本がパーティのお土産である関係上、数人の社員たちは受付係としてスタッフワークをしてくれています。立場上、僕もいかざるを得ません。
そんなわけで、去年の今頃、寒風吹きすさぶ冬の夕刻、僕は虎ノ門の会場ホテルにいました。
知り合いは、いなくもありません。主賓である大物言論人はもちろん、その関係で多少のかかわりのある著者たちが4~5人はいたと思います。しかしごく正直に言えば、僕は彼らと付き合って関係性を深めたいとも思っていないのでした(この点については書き始めると長くなるし、シャレにするのも剣呑です。君子は三端を避く。あくまでさらさらっと書くと、主賓の挨拶の趣旨が憲法改正であり、ゲストのスピーチの主張が軍備であり、会の最後は天皇陛下万歳と唱えるようなパーティだ、ということです)。
とりあえず来たことをアピールするために、主賓の視界に入っておく必要があります。先生どうも~お誕生日おめでとうございます~いつまでもお元気でいてください~と早々にご挨拶だけ済ませたら、僕にとってはミッション・コンプリート。
ビールを一杯だけ飲んだら、さっさと会場を出ます。僕には大義名分がありました。すなわち、受付をしてくれている社員たちを交代で食事させなければなりません。立食パーティの食事は減るのが早い。受付はこちらで見ておくから、みんなは会場に入って飲み食いしてきな。社員思いの気遣いのできる上司のふりをしながら、僕は言います。実際のところは、自分のためです。会がはねたら、どっちみちどこかで飲み直すつもりでいますから、この会場の食事に未練はありません。
というわけで、受付に立って、早々に立ち去る客たち――その気持ち、わかるぜ――にお土産を渡すことにしばし専念します。徘徊老人さながらに会場をうろうろするくらいなら、やることがあるのは幸福なことです。
まあ、この場合は進んでひとりになろうとして会話を避けているから少し事情が違うかもしれませんが、ことほどさように、立食パーティなるものは苦手です。
そうこうしているうちに、食べ物を漁りに行っていた社員たちが戻ってきます。すでに料理はあらかたなくなっていたようで、みんなほとんど何も食べられなかったと不満そうです。よしよし、この会が終わったら、みんなでどこかで飲み直そうな。
しかし、それまでにもう一仕事です。何人か、視界に入って挨拶だけはしておくべき相手が残っています。僕は意を決して再び会場に入り、鷹の目で会場を睨みわたしてターゲットを捕捉します。そして脇目も振らずに相手の元に向かい、とっとと挨拶を済ませようとします。目をつぶって鼻をつまみ、苦い薬を一気に呑みくだすようなものです。
しかし、お目当ての相手は、別の人と歓談中です。横から闖入するのも気が引けるので、とりあえず空くのを待ちます。歓談はなかなか終わりません。僕は食い散らかされて無残な骸をさらしている、さっきまで衆目を集め栄華を誇っていたトレーの脇で、所在なげに佇んでいます。早く帰りたいけど、いたしかたありません。
僕は左右の脚に交互に重心を移し、その場をまったく動かないで2キロばかり歩きます。
と、不意に脇から声をかけられました。振り向くと初対面の初老の男が立っています。ビールグラスとともに、なぜか登山用のごつい手袋を握りしめているのが異様です。僕たちは名刺交換をしました。このパーティに参加するのは今年がはじめてだから知り合いがいないんですよと、男は気弱そうに笑いました。ああわかります、立食パーティってたまにいたたまれなくなりますよねと、僕は和やかに笑い返しました。
そこからが、長かった。
男は自分の数奇な人生について語りはじめました。
蓄電した父親や大人になるまで顔も知らなかった実の姉をはじめ、親戚一同が全員登場する一大スペクタクルは、おそらく『大地の子』ばりの波乱万丈の物語なのだろうと思います。しかし、周りが騒がしいうえに男の活舌が悪いのと、主語を省く癖があるために、誰が何をしたのかがいまひとつ不明瞭です。しかも僕の集中力がほとんど払底しているので、男の話はさっぱり頭に入ってきません。男の父親が女を作って行方をくらました後、叔父夫婦が親替わりに育ててくれたとのことですが、母親はどうしたんでしたっけ? そのあと叔父夫婦が町内の笑いものになったのはなぜでしたっけ? お姉さんは殺された? それとも誰かが殺されることを予言したのがお姉さんでしたっけ?
そのうちに男は、自分の人生を文章にして出版すれば大いに売れるに違いないというような意味のことを語り始めました。僕はディスプレイが男にみえない角度を計算しながら内ポケットから携帯電話を取り出し、真っ暗な画面を見ながらちょっと眉をひそめました。そして、すいません急ぎの電話がかかってきまして、と呟くと電話を耳にあて、もしもしどうした? と虚空に向かって緊迫した声を出しながら、足早に会場を立ち去ったのでした。
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