沖田瑞穂先生から、新著『インド神話』(岩波少年文庫)をご恵投いただきました。
岩波少年文庫といえば、『モモ』『ナルニア国物語』『ドリトル先生』などの名作を収める、その名のとおり少年・子ども向けのシリーズです。
沖田先生の『インド神話』も、少年少女向けにやさしいことばづかいで綴られています。
そしてにもかかわらず――というか、だからこそ――「問いかけて、答えない」というかたちで進んでいくところがとてもいいなと思いました。
それぞれの章の最後の一文をいくつか引用すると、
「アスラ」や「鬼」など、負の側面を代表する存在は、ただ「悪い」もの、というばかりではないのですね。
どうやらインド神話では、「不死の飲料」や「聖なる飲料」は、鳥と関係があるようです。
女神とは、そのように矛盾した性質を一身に引き受けているものなのです。
といった具合。
語りかけ、事実を示し、問うことはしますが、「どうしてそうなっているかというと~」「なぜなら~」という答えはことばにはされません。
自分で読んで、ひとりで考えることができるようになっています。
これは正しく「学問」的な姿勢というべきです。
あるいは、正しく「読書」の姿勢というべきでしょうか。
『マハーバーラタ』の発端は、「増えすぎた人類を減らす」ために神々が大戦争を起こそうとする、というものです。
引用した悪魔や鬼、あるいは女神の記述にも明らかなように、神話はおそらく、単純な勧善懲悪ではなく、正義と悪の戦いといった二項対立で語り尽せるものではありません。そこに描かれる考えや願いは、ときに非常に危険なものになりえます。
シンプルな答えや、ストレートな正しさが求められがちな今の世界では、「教育上よろしくない」と短絡する大人すらいるかもしれません。
子どもたちにとっては、いっそう「難しい」ものかもしれません。
でも「難しいから」という理由で、避けてはいけない。
世にはびこる脊髄反射的なSNSコメントよりも、何千年もの時間に洗われた神話のほうに耳を傾けるべきなのは自明のことです。
話はずれますが、一休禅師の辞世といわれる句があります。
死にはせぬ どこへも行かぬ ここに居る たづねはするな ものは云わぬぞ
「ものは云わぬぞ」とは、答えはしない、自分で考えろ、ということでしょう。
これは仏教の考え方でインド神話とは異なるのでしょうが、いずれにせよ、「次の世代に向けて本を残す」というのは、こういうことなのかもしれない。と、沖田先生が子ども向けに語りかける本を読みながら感じました。
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