昨日、青年劇場の公演「あの夏の絵」を観てきました。
戦争ものの芝居というと、ヘヴィな内容かと想像されます。
もちろん、重い体験談が語られる場面もあるのですが、高校の美術部の友情と葛藤がストーリーの骨子にあるので、観終わった印象は爽やかですらあります。
構造は、ストレートな青春劇です。
登場人物は6人、舞台装置もシンプルで派手な演出もなく、とてもわかりやすい。
わかりやすく、爽やかというのは、戦争の記憶を描くときに見過ごされてきたことかもしれません。
劇中でも、子どもの頃にトラウマとなるような強烈なものを見せることの是非が議論される場面もありました。
あるいは、8月6日・8月15日が何の日かわからないとか。平和教育において広島は特別とか。広島平和記念資料館で中高生男子がはしゃぐのは怖いのをごまかすため。とか。
いわば若い人たちの「戦争教育あるある」がストーリー全体に散りばめられていて、それが物語のなかでわかりやすい導入部分になってるように思いました。
そしてその「あるある」的な共感が、途中から少しずつかたちを変えていきます。
証言者の老人たちとの交流を経て、「戦争教育あるある」は、生徒たち独自のかけがえのない体験へと変わっていきます。
面白いなと感じたのは、絵を描くことを通した「戦争記憶の継承」が、老人と若者をつなぐだけではなく、若者同士を横につなぐよすがにもなっているところでした。
上の世代と下の世代をつなぐことこそが、さまざまな困難さをはらみつつも「記憶の継承」の一番の肝であることは言うまでもありません。
どうやって記憶をつないでいくか、ということが、今まさに喫緊の問題であり、この芝居でも中心的に語られていることです。
この芝居ではそれと同時に――それと同じくらいの割合で――3人の高校生の友情が描かれます。
最初は反発しあっていた彼らは、絵を描くという「記憶の継承」行為を通して仲良くなっていきます。
まっすぐ一途で突っ走りがちな女の子、孤独で突っ張ったところのある女の子、一見軽率そうで飄々とした男の子。最初は反発したり無関心だった彼らは、みんなで絵を描くという行為を通して仲良くなっていきます。
これは、意外とない視線だったかもしれません。
つまり、「記憶の継承」が仲間を作る、あるいはそのようにして育まれた横の連帯の喜びを描くという視線は、ありそうでなかったかもしれません。
戦争や原爆の継承は、ともすれば過剰にシリアスになりがちです。
それは当然のことなのですが、実はそれは「仲間や友だちができる楽しさ」を育むきっかけでもあるということは、もっと語られてもいいかもしれません。
そもそもが美術部とか、演劇とか――あるいは僕がやっている本作りも――縦のつながりとともに、横の連帯も生む、楽しくあるべき行為です。
先人の記憶をみんなで受け止めることで仲間が生まれていく。その喜びは、もっとシェアされていいことかもしれません。
劇中で、東京から来たクールで無関心な女の子が心を閉ざすのは、戦争体験の衝撃的な語りのためであり、心を開くのは、ほかの子たちとの(なかば強引な)交流があったからでした。
あるいは、もうひとりの女の子の「調べているときは怖いけど、描いているときは怖くない」という主旨の台詞もありました。
体験者の語りをストレートに受け止めてトラウマになるのを避けるために、喜びや楽しみや連帯といった回路があってもいい。
どんなに凄惨でヘヴィな歴史であっても、それを継いでいく行為が楽しみや喜びや充実になりうる、なってもいいということは、もっと軽やかに描かれてもいいのかもしれません。
我々はもっともっと楽しく喜ばしく、継承を考えてもいいのかもしれません。
この芝居のわかりやすさと爽やかさは、そういうことを考えさせてくれました。
(「この絵が完成しても、これからもずっと会えるかな」という最後の会話は、世代間の交流だけではなく、生徒同士の友情をも意識したものだったと思われます)
僕はこの戯曲の元になった広島の高校の取り組みについて研究している小倉康嗣先生の文章を読み、高校生たちが描いた絵も見ていました。なので、ある意味では、もっとも楽しめた観客のひとりだったかもしれません。
劇中で出てくる絵がどの絵をモデルにしているのかはもちろん、生徒たちや被爆者、美術部の先生の台詞のそこここに、小倉先生の論考と響きあうものがあることがわかります。
観終わって外に出て歩きながら思いました。
もしかしたら僕は――みずき書林は――とても楽しく喜ばしいかたちで、記憶の継承の問題に取り組めているのかもしれません。
コメント