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  • 執筆者の写真みずき書林

小田原のどかさんのテキストのなかで再会した天使像のこと


あまりにも自明でスルーしてきた風景のなかに大きな意味や背景があることを知ることは、実にスリリングであり、同時に呆然とするような気持ちにもなる。 日本の街には、彫刻が多い。 しかも、裸婦像が多い。 いわれてみれば、たしかにそのとおりである。 そのことに気付かされて、ちょっと茫然とする。 「彫刻」というものが持っている歴史性や社会性を垣間見て、その論旨に研究というものの面白さを再認識する。 そのように感じるのは、ことばにはできていなかったものの、街中に散在する彫刻に違和感を感じてはいたからだ。 我が家の近くには有栖川公園という大きな公園がある。 都立中央図書館があるので、多くの人になじみの公園である。 ここに、思い出せる限りでも3つの銅像が建っている。 公園の名前の由来でもある有栖川宮なんとか親王の騎馬像と、新聞配達の少年を顕彰した等身大の像と、笛を吹いている全裸の少年の像と。 有栖川宮の像は台座の上に乗っていて、仰ぎ見るばかりに高い。 権威の対象は仰ぎ見られるものである、というくらいのことは考える。 でもそれ以上のことはとくに考えることもなく、子どもたちが遊びまわる広場を睥睨する軍装の騎馬像に、あるいは全裸で笛を吹くという変態的なデザインに、漠然とした違和感は感じていたものの、日常の景色のなかで銅像は、そこにあるものとしてスルーされてきた。 たとえば、「台座」とはなにか。 なぜこんなに銅像が多いのか。 なぜ裸なのか。 公共の空間に像を建てるとはどういうことなのか。 小田原のどかさんの分厚い著書と、ウェブ上に公開されている膨大なテキストは、違和感をそういう疑問のかたちに変え、さらにそれが歴史と接続されることに気づかせてくれる。 「彫刻を語ることはこの国の近現代史に光を当てることに他ならない」(『彫刻1』)という一文が代表するように、公共彫刻とそれが建っている場所は、歴史への入口なのだと教えてくれる。 2年前の夏に長崎の平和祈念公園、爆心地公園、神社を回っていながら、今回小田原さんの著作のなかで「長崎の爆心地には彫刻が溢れている」と指摘されるまでそのことに気づきもせず、街中に点在する彫刻を自明の風景としてスルーしつづけ、彫刻といえば「考える人」くらいのイメージしかなかった僕にとって、これは盲点だった。 ――本当は、小田原のどかという彫刻家/研究者の書籍とテキストについて、もう少しまとまったことを書こうとしてみたかった。 だが、ちょっと頭の整理がつかないままに、時間ばかりが経ちつつある。 ある事情によって、僕はこの文章を――未完成でも未整理でもいいので――なるべく早く、しかもなるべく長くして、アップしてしまいたい。 そんなことを考えながら読んでいるときに、奇妙な偶然が起こった。 戦後70年のときだからいまから5年前に、僕は前職で『決定版 長崎原爆写真集』という本を作った。山端庸介、林重男、松本栄一から、この本で初公開となった原子爆弾災害調査研究特別委員会の撮影まで、400枚超の写真を網羅した。 そのなかに、一枚だけ天地の位置がわからない写真があった。 おそらく浦上天主堂の聖像で、放射線で黒ずみ、倒壊して地面に倒れているらしい像を、またぐようにして真上から撮っているらしい。撮影者は個人名は不明ながら、原子爆弾災害調査研究特別委員会の所蔵していた写真だ。 そういうふうに撮られているから、カメラマンが聖像の頭が上にくるアングルで撮ったのか、横倒しになっているイメージで撮ったのか、よくわからなかった。 つまり、地面に倒れているのは間違いないが、カメラマンはどういうアングルで撮ったのか。地面に生えている草の向きなどを検討したものの、上下位置が正しいのかは確証がなかったことだけ記憶している。 そして5年後の今年、天地が不明なまま写真集に掲載した天使の像と、僕は小田原さんの論文の中で再会することになった(「戦争から生まれた彫刻をめぐって」『アートライティング5記録資料と芸術表現』)。 当時の僕は、像は爆風によって倒壊したものと思いこんでいたが、浦上を訪れた理化学研究所の研究者が、「記念品」を持ち帰るために教会の装飾を叩き壊して持ち帰ったと、その論文で知ることになった。 天使の彫刻はいまでは長崎原爆資料館に寄贈され誰でも見られるとのことで、論文中にはその図版も載っている。たくさんの聖像の頭部が並べられている。 その天使像群は写真集に載せたものと酷似していて、この被爆像群のなかにまさにあの像が並んでいてもまったく不思議ではない。 さらに、この理化学研究所の署員が、件の写真の撮影者であってもおかしくはない。 5年前に編集した写真集には、いうまでもなくもっと強烈なインパクトを持つ、凄惨な写真もたくさん収められている。 そのなかでこの聖像の写真は、天地の位置がわからないので繰り返し眺めて、その妙にとぼけた表情がよけいに哀しそうで、奇妙に印象に残っていた写真だった。 (これも小田原さんの同論文で知ったのだが、この像はもともと地蔵を作っていた石工が手掛けたもので、それゆえに日本風の顔立ちを持っており、それがとぼけた味わいになっているらしい) その写真と5年後に再会したのも、ささやかながらスリリングかつ呆然とする経験であった。 なお小田原さんは、 「彫刻は破壊されるときにいちばん輝きますよね」と発言している(『彫刻1』)。 またある対談の中で、 「私は彫刻が破壊されることをネガティブには捉えていないのです。むしろ、歴史的人物を彫刻化して、その威光とともに像を永遠にとどめておこうとすることは、人間の感性とあまり調和しないのではないかとさえ思っています」 とも発言している。 たしかにこの、黒ずんで倒れている天使の像は、綺麗に安置されていたときよりも、おそらく美しい。 小田原さんは天使の彫刻を叩き壊した科学者とその反省に想を得て、2018年に『われ記念碑を建立せり』という作品を制作している。 石膏でできた天使の頭部が、野原に無造作に置かれている。さわるのはもちろん、盗まれても破壊されてもかまわないという作品とのこと。 そういう作品だから、おそらく天地の別がない。頭部だから頭を上に、顎を下に置くのが正しいとはいえないだろう。




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