岡山県の女学生の日記を読む会
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- 2021年1月12日
- 読了時間: 2分
1月のうちに3冊下版というのは、久しぶり。
前職のときは全然あるシチュエーションでしたが、みずき書林になってからは本の作り方そのものを変えたこともあって、なかなかない。
考えてみれば、創業のときに6~7月で4冊刊行したとき以来かもしれません。
その合間を縫って、日曜日には研究会に参加していました。
どこまで書いていいのかわからないのですべての固有名詞を伏せますが、岡山県の女生徒が戦時中に綴った日記の解読をしている少人数の研究集会。
実はこの女学生、存命であれば御年91歳か92歳。
今年白寿でまだ元気なぼくの祖母とほぼ同世代。
そして晩年は僕が幼稚園~中学生まで住んでいたのと同じ町内に住んでいました。
当時は知る由もありませんが、80後半~90年代中盤に、かなり近くで暮らしていたと思われます。
それやこれやで何となく親近感を感じるのです。
読解のメンバーも、個人的にこの数年研究会で顔を合わせたり、本を作ったり、酒を飲んだりしている方々です。
「えらい」(しんどい、疲れる)
「たいぎ」(面倒くさい)
など、すっかりご無沙汰している岡山弁にも久しぶりに接しました。
啄木に、
故郷の 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聞きにゆく
という歌があり、ぼくは郷土愛ってほどんどないのだけど、なんとはなしに懐かしく慕わしい停車場のようでした。
先日は1943年5月頃の日記を読んでいて、5月4日には弟が生まれて、「こゝにも日本男児あり!!」なんて喜んでいるわけです。
しかし2年後には、空襲で妹が犠牲になります。
われわれは彼女にやってくるそういう運命を知っているわけです。
でも彼女はこの日記を書いているとき、そんなことはつゆ知らない。
そういうことも個人的には、何かぐっとくるものがあります。
読み解きしている方々もそれぞれに得意分野があって、ドッジボールとか、当時の学制とか、薙刀とか、『ハワイ・マレー沖海戦』と円谷英二とか、いろんな話題が出てきて、僕は聴いているだけですが、とても面白い。
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