今年の5月、是枝裕和監督がカンヌでパルム・ドールを受賞した直後に、取材で語っていたことば。
《僕は人々が「国家」とか「国益」という「大きな物語」に回収されていく状況の中で映画監督ができるのは、その「大きな物語」(右であれ左であれ)に対峙し、その物語を相対化する多様な「小さな物語」を発信し続けることであり、それが結果的にその国の文化を豊かにするのだと考えて来たし、そのスタンスはこれからも変わらないだろうことはここに改めて宣言しておこうと思う》
ここで言われる「小さい」という形容は、「弱さ」と言い換えることもできると思います。
たとえば、中国という大国のなかの少数民族。
かつてあった大東亜共栄圏という強国のなかの、庶民の暮らしという視点。
戦争社会学という、まだまだはじまったばかりのコンセプト。
あるいは、マーシャル諸島共和国という遠い国で名もなき一兵卒が残した、小さな日記。
そういった「弱さ」を視座にして、本作りをしていければと考えています。
個人的に、〈弱国史〉〈弱国史観〉と命名しています。
なんといっても僕自身が、自宅で・ひとりという史上最弱の出版社ですから(笑)。いわゆる〈強国史〉は大きな会社にまかせます。
僕としては、《「大きな物語」に対峙し、その物語を相対化する》ような、弱さをそのまま弱点と捉えるのではなくて多様性の表現や特長へと変換できるような、そんなことができれば、と思っています。
そういう視点をもった人と本作りができれば幸福だろうな、と考えています。
このことは、本腰入れて書き始めると長くなるので、またあらためて。
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