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  • 執筆者の写真みずき書林

〈弱国史〉概論―1/4「弱国史」とは何か

更新日:2020年1月9日


「弱国史」あるいは「弱国史観」 ということを、しばらく前から考えています。 正確にいうと、この架空の企画を思い付いたのは2017年の春頃だったと思います。


聞きなれない言葉だと思いますが、僕の造語です。 Google検索したところ、まったくヒットしません。 以前僕が書いたブログが挙がるくらいです。


「弱国」ということばはあります。 読んで字のごとく、国力の弱い国という意味であり、小国とほぼ同義です。 経済・政治・軍事面で国際的な影響力が少ない国といってもいいでしょう。


ここで僕が考えてみたい「弱国」には、もちろん結果的にそういう意味も含まれることになりますが、それ以外の意味を持たせたいと思っています。


・日本との関係が弱い(とされている)国


新たに付与したいのは、この点です。


学校で教わる歴史は、政治史であり外交史です。 文明が始まるごく最初期を除いて、我々は政治史と外交史を指して、歴史と呼んでいます。国家間の歴史と言ってもいいでしょう。 それはつまり、「強国史」でもあります。 最近の、たとえば高校の世界史の授業がどういうカリキュラムなのかは詳しくありません。でも僕が高校生だったころは、世界史といえば強国間の歴史を教えるものでした。 その視点は4大文明の発生以降、基本的に、ヨーロッパ・イスラム世界と中国世界を交互に行き来する編年体でした。 途中からアメリカとロシア(ソ連)いうアクターが登場して大きく取り上げられていきますが、基本的には世界のヘゲモニーを握っていたのは西洋社会と中国社会で、近代に到って前者が後者を駆逐し、さらにアメリカがソ連も含めてすべてを凌駕する、という構造で語られていたように思います。 そこではたとえば、東欧圏、東南アジア、西アジア、オセアニア、南アメリカ、アフリカなどの地域は、「その他大勢」という扱われ方以上はされていませんでした。 つまるところ、教科書的な、大きな物語である歴史は、基本的に「強国史」を描いてきました。

そこであえて、「弱国史」「弱国史観」という仮想のジャンルを提唱してみたいと思っています。

(つづく)



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