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  • 執筆者の写真みずき書林

人間は考える管である  愛と苦しみの内視鏡

大腸内視鏡。

それは地獄。

(ここから先はけっこうアレな話になります。痛そう、苦しそう、尾籠。そういうのイヤな人はパスしてください)


この入院期間中に、僕は2回の内視鏡検査をしました。

一度目は大腸の付け根、つまりスタート地点となる肛門から見れば深奥までカメラが行くコース。

今日やった二度目は、直腸のあたりを見るだけ、つまり入口あたりの検査。


そう書くと今日のほうが楽だったような感じですが、ぜんぜんそんなことはない。

いずれにせよ、内視鏡は、事前準備が地獄。


一度目は、1リットルの下剤を飲まないといけなかった。うすら甘ーい、ドロっとした液体。それがシャンプーの詰め替え容器みたいな透明のバッグにどーんと入っているのは、見た目に怯む。こんなに飲めるわけない。

飲むと、まあ、当然おいしくない。多少飲みやすいかと、看護師さんが氷の入ったカップも用意してくれたんだけど、苦しいのに変わりはない。

いま書きながら思い出しただけで吐きそう。

実際、ぼくは吐いた。

少しずつ飲んでいくんだけど、途中からどうしても喉を通らなくなり、我慢して流し込んだら吐いた。

看護師さんストップがかかって、それ以上は飲まなくていいことになったけど、この段階で具合が悪いったらない。お腹がどんより。ぐったり。

このことは数日前にも書きましたね。


んで、今日の事前準備は、浣腸からのトイレ我慢大会である。

浣腸で薬液をいれて、そのまま5分間トイレを我慢。

もうね、ソフトな拷問というかハードなプレイというか、僕の体質と忍耐力にはまったくフィットしない責苦であった。

結局、3分くらいしか我慢できなかったんじゃないか。

看護師さんに謝りながらトイレに駆け込む。

ただでさえお腹の具合がずっと悪いところに下剤を投与され、強引にお腹を洗浄される。

もうへとへとである。


もちろん、いずれも必要な処置だということはわかっています。きちんと内視鏡検査をするためには、下準備が必要です。看護師さんにはいろいろお手を煩わせて面目ないことです。

しかし、人間というのは、一皮剥けば単なるひとつながりの管に過ぎないんだなと実感されます。

そしてときに、管であることは気楽なことでもあります。


管の端から何が逆流しようと、何がもれ出ようと、プロにとっては丁寧に優しく、でもクールに対応すべき工程に過ぎない。そのような態度によって、患者が感じる苦痛や屈辱は、可能な限り薄められ、気にしなくてもいいこととして流されていきます。

人間は考える管である。

ほんとにありがたく、すごいなぁ。助かるなあ。


内視鏡は地獄。

我々は管。

でもそこに従事している看護師さんやお医者さんは天使。


なんてことを書いていたら、なんと山田南平先生も内視鏡検査のブログ記事を書かれていました。まさかのシンクロ。

しかも下剤大量飲み&浣腸を一度に……。

お察しします。

どうかどうか、検査の結果が何事もありませんようにお祈りしています。


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