新刊の情報をアップしました。
著者は『幻の東京五輪・万博1940』『1964東京五輪聖火空輸作戦』など歴史としての五輪をドキュメントタッチで描いてきた夫馬信一さん。
ほかにも、『航空から見た戦後昭和史』『渋谷上空のロープウェイ』などの著作があります。(空を飛ぶものがお好きなんですね)
いまオリンピックは、やる/やらないで大変なホットトピックです。
僕個人は「やらない」ほうがいいという意見です。
にもかかわらず、なぜオリンピック関連の本を出すのか。
それは、この本のドラマ性・ドキュメンタリー性に惹かれたからです。
要するに、読み物として面白いのです。
本書は、TOKYO2020(2021?)についての時事的な本では、まったくありません。
1964年の五輪の舞台裏に迫る、いわばノンフィクション/近現代史の本です。
30名以上のひとびとに取材し、200枚を超える写真を収録しています。
かなりの元手をかけ、時間と足を使った、労作です。
描かれるのは、聖火ランナーの高校生であり、沖縄(当時はまだアメリカの統治下)のランナーであり、ドイツからはるばる車で東京を目指したふたり組であり、北朝鮮の女性ランナーと韓国で暮らすその父親であり、作文コンクールに当選して東京にやってきたシンガポールの青年です。
つまり、無名の人びとです。
そういうひとりひとりを群像劇のようにとりあげながら、開会式に向かってカウントダウンする構造になっています。
その間には様々な(ほんとうにうんざりするような様々な)危機が訪れます。
そのなかからひとつだけ紹介すると、開幕2カ月前に千葉県ではコレラが発生し、WHOが汚染地区に指定するという事態になります。
そのような事態を乗り越え、57年前の五輪は行われたわけです。
この本はそのようなドラマを描いたものであって、(政治的・時事的な本は出したくないと思っている)僕としては、いま現在の何かを批判したり揶揄したりするつもりは、全くありません。
しかし、
著者が真剣に書けば書くほど、現代の戯画のように見えてくる。
当時の無名のひとびとの奮闘と努力を描けば描くほど、なにか別の世界線で起こっているパロディのように思えてくる。
ふつうは〈戯画〉〈パロディ〉とは現実世界を、より極端に、コミカルに、あるいは悪質に強調して笑い飛ばすことを指すはずです。
しかし本書を読んでいると、このリアルワールドよりも本の中の世界のほうが良き場所のように思えてきます。同じ東京での出来事とは思えません。そういう意味では、逆パロディ(?なんだそれ?)みたいな。
はからずも、そのような効果を持つ珍本になりそうな気がします。
なにも「昔はよかった」などと言いたいわけではありません。
(言っておきますが、1964年には僕は生まれていません)
本を読み終わって顔を上げたら、この世界がちょっと変わって見える……というのが本が持っているささやかな効能だとするなら、この本もまた、いささか変わったかたちでそのような感情を呼び起こすものになっているということです。
マルクスは「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」と言ったとされます。東京五輪については逆かもしれません。一度目は喜劇でしたが、二度目は悲劇の予感がぷんぷんします。
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