昨日は、
近代日本を生きた「人々」の日記に向き合い、未来へ継承する@明治学院大学
2日目でした。
10時から『タリナイ』の上映。
午後から19時くらいまでシンポジウムと総合討論。
その間に僕は、進行中の企画の原稿の受け渡し。
学生時代の後輩も、関心があるということで来てくれました。
夜は例によって例のごとく、打ち上げ2次会まで参加してきました。
総合討論では発言しませんでしたが、以下、2日間参加しての感想など。
【1.資料の保存について】
扱っている時代が一番近くて昭和期くらいなので、モノとしての日記類は、基本的に紙媒体です。
でもおそらく、今後は電子媒体やデータでの日記になってくると思います。
実際、僕はここ数年、手帳を持つ習慣が完全になくなりました。カレンダーすら買っていません。
スケジュール管理は完全にGoogle頼りです。
また、僕は学生時代には日記をつけていて、いまも家のどこかに5冊くらいの手書きの日記帳が転がっているはずですが、いまは日記はつけていません。
そのかわり、このブログをほぼ毎日更新していて、日記がわりに使っています。
モノとしての日記類がどんどんデータに置き換わっていくなかで、今後の収集や利活用の方法はどうなるのか。
今後の見通しとして、島さんや志良堂さん、田中さんなど、実際にアーカイブ化・データベース化を進めている方たちにうかがってみたいことでした。
【2.〈並べ読み〉について】
会の要所要所で〈並べ読み〉の重要さについて言及されました。
史料批判という意味でも、重層的な読みという意味でも、複数の日記を並べて解読するのはとても興味深い試みだと思います。
(僕も田中さんとずっと温めているアイデアがあって、それはまさに〈並べ読み〉の企画です)
いっぽうで、大川さんが父である佐藤冨五郎さんと息子である勉さんがともに日記をつけていることに注目して、ふたりの日記を重ねて読んでみるというアイデアをおっしゃっていました。
これも〈並べ読み〉ではありますが、多くの〈並べ読み〉が同時代の資料を横に並べるという考えなのに対して、時代を超えて縦軸で発想するという意味では〈連ね読み〉といった感じかと思います。
佐藤家の場合のように家族だったり、あるいはある組織だったり、同じ境遇にある人びとだったり、そういうグループのなかで縦軸の〈連ね読み〉をしてみると、面白い発見があるかもしれないと感じました。
【3.日記以外の史料について】
これは1にも関わりますが、保存されているのが日記だけではないケースもしばしばあると思います。
僕も最近、親戚から大量の資料を預かりました。
戦後の手帳や従軍日誌などのほかに、戦時中の写真帖、児童とやりとりした慰問の手紙、新聞の切り抜きなどが含まれます。
さらに満洲各地で収集した煙草のパッケージを貼りこんだノート、未使用の軍事郵便や満洲・ロシアの絵葉書があり、勲章や肩章、善行証書などまでありました。
この資料群はいずれ研究会の方々に見てもらいたいなと思っていますが、残した側としては、これらの資料群をまとめて保存することに、なんらかの意味を見出していたはずです。
写真帖や慰問の手紙、絵葉書などなど、日記・手帳類という概念をどこまで拡張できるのかも、気になった点でした。
以上、忘れないうちに感想を記しておきます。
なお、
「人びとはいかに、そしてなぜ日記を綴ってきたか」
というのが初日冒頭の総論で田中さんが提示した根源的な問いでした。
その問いはさらに、
「人はなぜ、その媒体に、その頻度で、その筆記具で、その内容を、その文体で、その紙面の使い方で、書くのか」
と分節化できるという話でした。
僕もこのブログは「どうせ誰も見ないだろうし」というモチベーションで始めましたが、かなり早い段階で読者を想定しながら書くことになりました。それも、トピックごとに、はっきり顔が思い浮かぶ何人かの人がいます。
当然ながら、自分のなかで物語化することや、トピックを取捨選択することには、かなり意識的だと思います。
書いたものを読み返すことはあまりありませんが、それでも何らかの事故で過去のデータが失われたら、そうとうモチベーションが下がると思います。
なぜ=自分以外に伝えたい人がいるから
その媒体に=にもかかわらず「どうせだれも読んでいないし」というエクスキューズが可能だから
その頻度で=可能な限り毎日更新を課しているから
その筆記具で=キーボードで書く以外に選択肢がないから。でもたまに絵を描いたりするのは、たぶん変化をつけたいから
その内容を=仕事に関わることがいま一番面白いから
その文体で=ですます調で一人称「僕」が、仕事上の自分の口調に近いから
その紙面の使い方で=ブログの仕様上しかたない。でも考えてみれば、学生時代に手書きで日記を書いていたときも、横書きだった
という感じでしょうか。
こういうふうに回答してみたことにも、物語化やポーズが多分に含まれていることは自覚しつつ。
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