情報も出そろってきたので、本腰入れて告知します。
小社刊『マーシャル、父の戦場―ある日本兵の日記をめぐる歴史実践』の編者・大川史織さんが監督した映画『タリナイ』が劇場公開となります!
9月29日(土)から、アップリンク渋谷にて。
アップリンクのサイトはこちら。
『タリナイ』公式サイトはこちら。
公式Twitterはこちら。
上映時間は93分。
上映後には、監督とスペシャルゲストたちによるトーク回もあり!
映画の予告編やあらすじ、大林宣彦監督・武田一義さん・矢部太郎さんをはじめとするたくさんの方々によるコメントなどは、ぜひ上記サイトをご覧ください。
この場は出版社のサイトなので、姉妹本『マーシャル、父の戦場』との関連でちょっと書いておきます。
ある大学の先生にご紹介いただき、僕は去年の6月にこの映画を観ました。
観終わったときには、これは本になると確信し、監督に長い感想のメールを書きました(僕は油断するとうっとおしいくらい長い文章を書く悪癖があります。このテキストがそうなりつつあるように。なお、こういう成立事情なので、姉妹編というときには映画が姉で、本が妹です)。
それからちょうど1年くらいを費やして本書は爆誕し、ほぼときを同じくして映画も劇場公開が決まりました。
個人的なことを書けば(まあそもそも、このブログでは個人的なことしか書いていないわけですが)、この1年の間に僕はずっと勤めていた会社を辞めて、ひとりで新しく仕事をはじめることにしました。
その決断に至るまでにはいくつかの要因がありましたが、本書の出版計画およびその元になった映画が、主要因のひとつだったのは確かだと思います。
この映画の内と外には、何かを強く/長く求めている人たちが登場します。
カメラの内側に映っているのは、主要な被写体である佐藤勉さん、陽気に歌を歌うマーシャルの人たち、戦争の記憶を引きずるマーシャルの人たちです。
そして画面には映りませんが、カメラの外側には、勉さんの父である餓死した日本兵・佐藤冨五郎さん、「コイシイワ」という曲を作ったマーシャル人、ファインダーをのぞく監督自身がいます。
彼らにはそれぞれに求めているものがあります(ありました)。
そしてその求めているものに向かって、肩ひじ張らずにごく自然に手を伸ばしているのも、彼らの共通点だと思います(映画のメインビジュアルである、マーシャルの少年に話しかけている勉さんからは、気負いや緊張は感じられません。彼は英語もマーシャル語も達者ではないにもかかわらず。さきほど「決断の主要因になった」と書いたのは、たとえばそのような力みのない真っ直ぐさに惹かれたという意味合いです)。
彼らはそれぞれに何を求めている(いた)のか。
たとえば、39歳で死んだ父・冨五郎さんは、なぜ死の直前まで日記を綴りつづけたのか。
それから70年以上がたって、74歳になった息子の勉さんは、なぜどうしても父が死んだ島に行きたかったのか。
そのときまだ20代だった監督は、なぜマーシャルとその歴史に惹かれることになったのか。
そんなことも、この映画の鑑賞ポイントのひとつになるかもしれません。
……なんだかすごくヘヴィな映画みたいな書き方になったかもしれません。
実際には、観るのがしんどいような、重たく暗い気持ちになる映画ではありません。
むしろ逆に、映画のトーンそのものは終始明るく優しげとすらいえるかもしれません。
おそらくそれは、画面全体をおおう南国の美しい風景と、映画全体を包む楽しいマーシャルの曲があるからだと思います。
マーシャルの曲については先日書いたので、よければ読んでみてください。(←marshallese songs1・2)
風景は単純に美しいわけでもなければ、音楽は単純に楽しいわけでもありません。美しければ美しいほど、楽しければ楽しいほど、その背景にあるものを考えざるをえないことになります。
そういうことを考えてみようというときに、へんに深刻にならずに、でも真剣に考えてみようかなと思わせるところが、この映画の最大の達成でしょうか。
ハリウッドをはじめとする全国展開するような大作映画は、〈多くの人が共通して期待しているカタルシス〉という、あらかじめ決められたひとつの感情に観客をリードしていくように作られていると思います。
いっぽうドキュメンタリー映画は、〈多くの人が予期していなかった感情をゆさぶる〉ことで、観客がそれぞれ個別に考えて想像することを目指すのだと思います。
ゆえにハリウッド的大作はマジョリティーに受け入れられやすいですが忘れえぬ唯一の作品にはなりにくく、ドキュメンタリーは敷居は高いけれどもインプレッシブなものになりえます。
あと数年経ったら、世界を破滅の危機から救ったのがブルース・ウィリスだったのかアーノルド・シュワルツェネッガーだったのかは曖昧になっているかもしれません。でも、父親を呼びながら島に降り立った佐藤勉さんの叫び声は、あるいはたどたどしい日本語で歌を歌った異国の老婆の表情は、もしかしたらずっと忘れることができないかもしれません。
マーシャルという国は、おそらく多くの日本人にとってすごくマイナーだと思います(苦笑)。でも未知の場所だからこそ、そのぶん〈予期していなかった感情をゆさぶ〉られる可能性は高いかもしれません。
自分自身がどう感じるかを見届けに、ぜひ劇場にいらっしゃってください。
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