広瀬奈々子監督『つつんで、ひらいて』を観てきました。
装幀者・菊地信義を追ったドキュメンタリー映画。
ブックデザインの映画なので、紙をめくるシーンがしばしば出てくるのですが、その音が印象的でした。
大きな紙をめくる時のバッという音、紙の束をめくるときのはらはらという音、折り畳むときのシュッという音などなど。
(電子の対抗物としての紙ではなく、)たとえばガラスや木や鉄など物質のひとつとしての紙っていいなあ、とあらためて感じました。
また、主役である菊地信義氏はもちろんですが、その周囲の人びとの表情がよかった。
よかった、というか、あるある的に面白かったというのが正確でしょうか。
居酒屋で装幀家と飲んでいる編集者。
本を前に話をしている編集者。
装幀家のチェックを気にしている印刷所の担当者。
手作業でカバーを巻いている製本ラインの年配の女性。
そういう人たちの表情が、「そうそう、こんな感じだよね」というふうに自然に描かれていました。
もちろん僕も出版業界の端くれですから、紙の音や印刷製本の人びとの表情などは日常的に接しているもので、彼らの顔が見たければ、別に映画を観なくても、実際に会いに行けばいいのかもしれません(笑)。
でも、画面のなかであえてそういう音や人に触れることで、この仕事もあんがい悪くないな、と再認識させてくれる映画でした。
そう。いろいろあるけれど、この仕事はけっこういいものだなと思いました。
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いうまでもなく、菊地信義はこの業界では知らない者のいない、大御所です。
(ちなみに僕は会ったことはありません)
その彼を、思わせぶりなカリスマや、深遠な哲学をもった権威者として描いていないところも、好感が持てました。
出版業界に限らず、実際に会って話をして触れ合ってみれば、立派な仕事をしている重鎮も、それなりに普通の人であることが大半です。
漫画やアニメに出てくるみたいな偏屈な天才だったり、周囲を振り回す奇矯な生活破綻者であることは少なく、立派な仕事をしている人ほど――もちろん美意識に基づいたこだわりは常人より強いものの――常識人であり、道理をわきまえた普通の人です。
普通の人とは、毎日仕事をして、コーヒーを飲んで、トラブルに巻き込まれて、調子の悪い時だってあって、でも長年続けてきた仕事だからその気になればそれなりの考えや思いを口にすることができる、という大人です。
菊地信義という権威を、カリスマの靄の向こうにいる非凡な人として描くことも可能だったと思います。
たしかに、彼が自身の哲学やこだわりを披歴する場面もあるにはあります。
でも総じて、おそらくは菊地信義という人のパーソナリティと、監督の志向が、彼を〈普通の人〉として描かせています。
とくに、ある重要な仕事を終えてからの後半では、彼はただの疲れたおじさんという気配を濃厚にしていきます。
一途に仕事をしてきた生活者として、けっこうな年齢にもなり、いささかくたびれてもいる、おじさん。
監督のカメラに、たとえば権威のベールを剥ぎとろうとするような意図はみじんも感じられず、また装幀家のほうにも、格好つけてあえて韜晦に走るという趣味は感じられません。
ただ淡々と、興味深い仕事に従事している、やや疲れた男性の姿を映していきます。
そんな映画ですからクライマックスらしいクライマックスはないのですが、最後に菊地信義が、
「正直にいうと、達成感はまったく感じていないんだよ」
と言う場面があります。
何十年もブックデザインの最前線で仕事をしてきて、1万5000冊をデザインし、いくつもの作品が日本の出版史に残るでしょう。
でも彼は、とくに気負うふうでもなく、深刻な秘密を打ち明けるふうでもなく、ふと思いついたからこの際喋っちゃうけど、といった口調で「達成感はまるでない」と言います。
これは、もしかしたら普通の生活者の健全な実感なのかもしれないと感じました。
われわれは、あの菊地信義が「達成感がない」と言うのを聞いて衝撃を受けますが、あとでわれとわが身を振り返ってみて、もしかしたら長年何かを続けるというのは、本来そういうものなのかもしれない、と思いかえすことになります。
ひとつひとつの仕事の中に、充実感はあるでしょう。
日々の中に、あれもやろうこれもやろうと心躍る時間はあるでしょう。
でも長い目で振り返ってしまうと、ある程度長期化した人生にはそもそも、「達成感」ということばで表現されるほどの高揚はないのかもしれません。
「自分はとても恵まれた装幀家で、ブックデザインでやれることややりたいことはほとんど実現することができた。ほんとうに恵まれていたと思う」という趣旨のことを言い、それに続いて先の「達成感がない」ということばが続きます。
自他ともに認める、質量ともに見事な仕事をしてきたのは間違いないのです。
でも、つい、ふと立ち止まって来し方を振り返ってしまったときに、周囲への感謝とともに、一抹の寂莫とした思いが漏れてしまうのは、健全な現代人なら当然なのかもしれません。
いろいろあるけれど、この仕事はけっこういいものだな――
僕が感じたこの思いは、生活の充実ではあると思いますが、どこまで引き延ばしてみても、人生の達成とまでは言えないものでしょう。
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……といったことが気になったので、上映後のトークイベントでは、監督とプロデューサーに向けて、「映画を観た菊地さんの感想は?」と簡潔な質問をしてみました。
「自分が装幀されたみたいだ」という小粋な感想が紹介され、映画の販促物のデザインも手掛け、プロモーションにも同行して熱心にトークを行い、制作陣ともきわめて良好な関係を維持しているとのことでした。
「ドキュメンタリーでは、被写体と制作側がいい関係になれることって、実はあまりないんですよ」とプロデューサーは笑いを誘っていましたが、この作品は幸運な例外のようです。
作中で、「装幀の究極は、タイポグラフィー(=文字だけ)で、白黒だけで表現されるものなんだ。でも多くの場合、本文がそれ以外のものを要請してくる。だからせめぎ合う」
と言っていた装幀家にとって、シンプルで衒いがなく、生活の充実と人生の寂莫を切り取ったこの作品は、趣味に合うものだったのかもしれません。

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