(前回のつづき)
僕が感じていることはいずれ消える。
いずれ、などというまでもなく、感じたそばから消えていく。
ソファに座って飲み物のグラスを手元に置いて、携帯で日記のtweetを見ながら、なにか大切な感慨を抱いているような気がする。でもそのほとんどはうまくことばにならず、誰にもいえず、そのまま消える。
佐藤冨五郎が感じていたことは、かろうじて、かすかに残った。それにしたって、彼が感じていたことのほんの一握りにすぎないだろう。
そこに行ったことのない僕は想像するしかないが、たまの爆撃を警戒しながら、波の音を聞きながら、水平線を見つめながら、木陰にうずくまりながら、空腹と表現するのもはばかられる身体の異常を感じながら、たとえば「三月十日 晴。」とだけ綴ったとき、彼が切々と感じたかもしれないことは、ことばにならないまま跡形もなく消え失せている。
彼がそのごく短い言葉を書いた日、東京は大空襲に見舞われて彼の家族が暮らす場所も被災しているのだが、彼はそんなことは知る由もない。彼はそのことを永遠に知らない。
我々は、明日自分がどうなるのか、何も知らない。
当たり前だが、それが人生の基本だ。
未来のことは、絶対に誰にもわからない。
ところが、最期のとき、佐藤冨五郎は自分がもう間もなく死ぬことを知る。
彼は「之ガ遺書」「最後カナ」と記し、実際にその数時間後に死ぬ。
そのとき彼には未来が見えている。
その未来は、我々全員にいつの日か確実に訪れる未来なのだが、多くの人はそれがいつの日か知ることなく生きている。
彼はそれを知ってしまい、しかもそのことを死の直前まで書き残す。
自分の未来(のなさ)を見てしまっていること――そのことが、この日記に独特の印象を与えている。
有名な作家の残した文学作品や手記とはまた違う手触りが、そこにはある。
たとえば漱石の『坊っちゃん』を読みながら、「ああこの人は後に大喀血して生死の境をさまようことになるとも知らないのか……」「この人は49歳で死んでしまうのか」と哀れをもよおすような人はほぼ皆無だろう。
『断腸亭日乗』を読んで、鞄を抱えて孤独死することも知らずに暮らしている荷風に切なく狂おしい共感を抱く人は、そういないだろう。
その文学的評価とはまた別のこととして、伝記的な事実が確定された有名の人とは、我々にそのような感慨を抱かせる存在ではない。
ひるがえって、どうやら自分は数時間後には死ぬらしいと感じ、そのことをリアルタイムで文章にした、まったく無名の人がいた。
自分の死を記述するその最後の文章に行きついたとき、未来に対する我々の絶対的な無知が、ほんの一瞬だけ、震えるようにほどける。
そしてこの不幸な予言者の無名性が、〈曰く言いがたいなにか〉を感じさせる。
日記のなかで、75年前の佐藤冨五郎は死につつある。
ことばにならない思いを抱え込み、書けることだけを淡々と書きながら、あと一月と少し経ったら、彼は死ぬ。
彼はそのことを薄々予感しているが、直前まで知ることはない。我々は知っている。
最後の最後で、彼も知る。
最後の一節を書いたときに、彼はどういう状況にいて、なにを考えていたのか。
様々に想像しようとするが、どのように想像してみても、彼が最後に抱いた思いはまったくわからない。
「万感の思いを込めて、最後の日記を書いたのだろう」などとは言いたくない。
でもそこには、なにかの思いがあっただろう。
それは最後の筆跡を見れば感じられる。
彼はなにを思い、その思いはどこに消えてしまったのか。
そういった日々の思いは無価値ではない。と、できれば信じたい。
少なくとも、自分の思いは、自分にとってだけは無価値ではないと信じたい。
なぜなら、もしこの感情が無価値なら、我々の日々の暮らしもまた無価値だから。
もしそれが十全に誰かに伝えられるなら、その人との間に完全な共感が分かちあえるなら、それは自分以外の誰かにとっても価値のあるものになるだろうか。
たとえば僕が感じているこの、無名の人が遺したものに触れるときの愛おしさと、未来について無知であることの切なさを、冨五郎という人に過不足なく伝えられたとしよう。
伝え手である僕がうまく言語化できておらず、受け手である彼は死んでいるのだから、そのようなことはあらゆる意味で不可能だが、仮に、彼の日記を毎日読むことで僕がどんなふうに感じているかを正確に伝えられたとしよう。
あるいは彼が、水平線を眺めながら、そこに沈んでいく赤い太陽を見つめながら、最後の日々に感じていたであろう感情を、ことばを尽くして僕に伝えてくれたとしよう。
そのとき、何かとても価値のあるものが受け渡されたと感じるはずだ。
ただし、それはおそらくできない。
佐藤冨五郎とはもちろん、他の誰とであれ、自分の思いを完全なかたちで伝えることも、相手の思いをありのままに受け取ることもできない。
だから我々の日々の思いは、ほんとうは無価値なのだろうか。
あと一月と少ししたら、佐藤冨五郎は死ぬ。
もちろん、1945年、とっくの昔に、彼はすでに死んでいる。
でもあれから75年後の今年、彼はSNSのなかで再び日記を綴っていて、やがて死ぬ。
彼の、あるいは人びとの思いというものは、どこに行ってしまうのだろう。
そんなことをぼんやり考えて、不思議な気持ちを抱いている。
(他人の日記を毎日、その死まで読む経験をしたい人はこちらをご覧ください。
なお、Twitterの文字制限から、ここでは必ずしも日記の全文が紹介されているわけではないことは付言しておきます。
日記は、現在のマーシャルの風景とともに紹介されます。日記の記述と不即不離の関係にある景色も、見どころです)
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