小社刊行の1冊目となる小松健一『民族曼陀羅 中國大陸』の見本が出来上がってきました。
本書の魅力は、中国の多様な民族の顔と暮らしぶりを撮影しているという点に集約できます。
とりわけ僕は、人びとの表情の多彩さに惹かれます。
美しい民族衣装に身を包んだ若いタイ族の女性から、「古老」という言葉がふさわしいカイ族の皺だらけの老人まで。
ビョークのアルバムのようなものすごい髪形のミャオ族の娘から、乱杭歯を見せて笑う片目のないナシ族のおっさんまで。
カバーに写る老人は、張飛が使っていたという伝説をもつ古井戸の守を代々つとめる一族の末裔とのことです。写真ができたら送ってくれと、住所を書いているところです。
その隣の写真の女性は、絢爛な民族衣装に身を包んでいますが、よく見ると手にはスマホを持っています。
つまるところ、どこにでもいる人たちです。
こうして我々が暮らしているまさにいま、彼らもまたそれぞれの土地で生きているのだと思うと、不思議な気持ちになります。
その不思議さをやや政治的な言い方でことばにすれば、「その国の政治体制や外交姿勢が嫌いだということは、その国の人を嫌う理由にはならない」ということであろうと思います。
I・マキューアンの言葉を借りて文学的にいえば、「私たちは他人とどれだけ違うかではなく、どれだけ同じかを知ったときに、より深く感動する」ということかもしれません。
あるいは(上記のマキューアンと真逆なことを言っているようで、ひと回りして同じことを言っていると思うのですが)詩的に表現すれば、金子みすずが言った通り、「みんなちがってみんないい」ということになるでしょうか。
ここに写る中国の各民族の人びとは、われわれにとっては見知らぬ他人です。
撮影者の小松健一さんにとっても、やはり他人だと思います。そういう他人の顔に惹かれて、わざわざ少数民族の生活現場まではるばる旅をして何十年も通い詰めるのが、この写真家の、凡人には計り知れない情熱なのだと言えそうです。
そのようにして撮影された見知らぬ他人の表情を見つめていると、日ごろ大切に思っている身近な人たちや、会いたいけどなかなか会えない人たちの表情を、あらためて見つめたいなと思わされます。
みずき書林のはじめての本ですから、これから先、僕は折に触れて何度も見直すことになるでしょう。
そのたびに、いま会っている人のことを、会いたいと思っていた人のことを思い出すのでしょう。
僕にとっては、そのように見られるべき本です。
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