9月に病気のことがわかったとき、このブログにそのことを公表しました。
その前に、何人かには電話で直接伝え、何人かには個別にメールをしました。
ある人は、病気だと伝えた瞬間に、電話の向こうで声をあげて泣き始めました。
僕は反射的に、
「泣くな泣くな」
と小さく笑いながら言ったことを憶えています。
そのときは病気のことがわかったばかりで、僕はまだそのことで泣いたことがありませんでした。
告知を受けたときも、その夜も、はじめてがん専門の病院に行ったときも、僕は泣きませんでした。
その頃は泣くことを自分に許していなかった、といったほうが正確かもしれません。
だから僕は、僕のために泣いてくれている人の涙をとっさに避ける気持ちが働き、思わず知らず「泣くな泣くな」と口にしたのでした。
どういう心境の変化があったのか忘れましたが、それから9カ月が経って、今の僕は、自分に対しても他人に対しても、またこの病気に関してもそれ以外のあらゆることに対しても、「泣いてもいいよ」という気持ちになっています。
辛いことはもちろん、嬉しいことがあっても。
子どもはもちろん、大人になっても。
ほろほろと涙を流すのはもちろん、なりふり構わぬ号泣でも。泣いてもいいんだと、今は思っています。
誰かが泣いているとき、「泣くな」ということはもうありません。
だけど、泣いている人に何と声をかけていいかはいまだにわからないから、ただ黙っているだけでしょう。
今日は寺尾紗穂さんの新譜を聴きながら泣きました。
この人の声はどうしてこんなふうに、まるではりつめた弦が心にひっかかって震えるように響くのでしょうね。
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