索引のノンブル拾いをしたり、チラシを作ったり、原稿をチェックしたり、授業の準備をしたり、装丁のことを考えたり、合間にご飯を作ったり酒を飲んだり、なにかと忙しい。
忙しくて、ここ数日久しぶりにちょっと疲れている。
疲れているからといって、嫌になっているわけではない。テンションが下がっているわけでもない。
僕の場合、仕事が進んでさえいれば、疲れれば疲れるほどにやにやしてしまうようなところがある。
疲れているところに、楽しい原稿を読んだ。
こちらでまとめた取材原稿を、ほとんど全部書き直してくださって、そのぶんものすごく良くなった。
具体的に何がどう良くなったのかというと、ひとことでいうと、スリリングになった。
インタビューをまとめるときって、どうしてもある程度の論理的整合性を付けようとしてしまう。長時間にわたる相手の話を数十頁にまとめるときには、当然ながら全体の流れを考えるし、そのなかで一応のロジカルな展開を意識して整理することになる。
そのようにして提案した原稿を、今回はほとんど全部書き直してくださった。
そのインタビュイーは、こちらが行儀よくまとめたロジカルな展開など、ほとんど頓着していない。もちろん、こちらが意図したストーリーラインに沿って加筆くださっている。こちらの望んだ方向性はまったく逸脱していない。そのうえで自由に――つまりアーティストとして正直に――思考を四散させ、エピソードを散りばめてくださっている感じ。
要するに、こちらが収斂させようとした文脈を、あえて拡散させて打ち返してくださったというか。
こういうケイオティックな魅力を持ったテキストは、ある種の疲れ方をしているときにとてもよく効く。もともと僕は周到というか小心というか、たとえるなら待ち合わせ場所には5分前には着いていたいようなタイプだから、正直であることと無軌道であることが衒いなく結びついている文章を読むと元気になる傾向がある。自分には絶対にない資質だからだろう。
こういう文章を書く人は、時計も見ないであっち行ったりこっち行ったりしながら、それでも時間通りに待ち合わせ場所に来るタイプで、わき目もふらずにまっすぐに目的地に向かってしまう僕とはぜんぜん違うタイプなのだけど、最終的にその時間にその場にきちんと現れるという点で信頼できるし、その無軌道さが楽しい。
(あくまでたとえ話だ。この原稿を書いてくれた人――遠藤薫さんという工芸家/美術家――が、実際に時間を守るか守らないかという話ではない――というか、このホスピタリティのかたまりみたいな人が時間と約束厳守の方なのは、ハノイで実感している)
「お待たせ~」と手を振りながら締切という待ち合わせ場所に現れた原稿は、途中で立ち寄っていたいろんな場所でのエピソードやそこで考えたことを豊かに含んでいて、さっきまで泥まみれになって遊んでいた子どもみたいな魅力がある。
ついでに書くと、その原稿が収められる本の装丁案も出来上がりつつある。
かなり実験的なこともしながら、美しくインパクトのある外見になりそう。
それやこれやで、僕はかなり疲れているが、にやにやしている。
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