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  • 執筆者の写真みずき書林

『秘蔵写真200枚~』記事掲載 12/3日経新聞


本日の日経新聞に、『秘蔵写真200枚でたどるアジア・太平洋戦争』の編著者・井上祐子先生の取材記事が掲載されています!


『FRONT』を刊行しており、木村伊兵衛や原弘、林達夫らが関わっていた関連で、東方社に関心を抱く人は多くいましたが、ここまで大量のネガが発見され紹介されたのは、今回がはじめてです。

そこには、陸軍参謀本部傘下という特殊な環境にいたからこそ撮影可能だった写真が無数に眠っていました。

もちろん、そういう立場の撮影者ですから、プロパガンダを目的として意図的な構図やポーズをもった写真も多くあります。人々の暮らしを写したものでも、それが単純に当時のありのままを写しだしたスナップだと考えることはできません。しかし、そういった撮影者の意図まで含めて、カメラの向こう側のみならず、こちら側をも考えさせる写真群であることは間違いありません。


「写真画像だけでは信頼に足る史料とはいえない。撮影時期、被写体、撮影に至る経緯など、情報がそろうほど資料としての価値は増すから、その調査が重要になる」


とは記事中の一節ですが、井上先生の研究者としての姿勢を示すとともに、とくに戦争にまつわる写真を扱う際の要諦でもあると思われます。



写真や映像というのは、情報の操作が非常に簡単なメディアです。

見るものの解釈をリードし、感情をコントロールし、あるいは画像そのものをねつ造することも比較的容易です。

それが画像として「本当にあったことを映している」前提があるゆえに、正確な周辺情報を付与して妥当な距離をとっておかないと、知らないうちにミスリードに加担することにすらなりかねません。


そういう意味で、200枚もの写真のひとつひとつにキャプションを付け、長文の解説テキストを付していく本書の編集作業は、先生にとってある種の〈おそれ〉を抱かせる作業だったのではないかと、いまになって拝察しています。

それは狭義には研究者として間違いを犯すかもしれないというおそれであり、広義には歴史を語ることに対する、この写真を撮り、写真に撮られ、写真を見る人々すべてを含みこむ歴史そのものへのおそれだったようにも思います。

つねに情報の正確さにこだわり、断言できないことに対しては慎重にことばを選び続けた著者の思いは、上記の一節とともに、本書「おわりに」の、


「当事者や当事者に近い人々の言葉や語りが残されていない写真は、どうすれば有用な資料として、社会に共有され得るのか。(中略)

 本書では、収録した各写真について、できるだけ撮影時の情報を集めることに努めたが、それには限界があり、至らないところも多い。言おうと思えば何とでも言えてしまうところに写真を扱う難しさがある。本書は見る者のひとりである筆者が写真に意味づけをし、筆者の解釈に引き寄せ、アジア・太平洋戦争の歴史の中にそれぞれの写真を埋め込んだ危険な試みであるかもしれない。しかしあえてのこの試みの意図をご理解の上、これらの写真をどのように受容していけばいいのか、ともに考えていただければ幸いである」


という部分にも響いています。


記事の最後に、

「忘却の淵にある歴史の断片を拾い上げるきっかけ」

になればと語っておられますが、おそらくそういう断片は盲点のようなかたちでたくさん残っています。

そして、その断片を自分だけの関心をもって拾い上げてつなぎあわせて埃を払う作業を続けている方もそれぞれにいます。

そういう人たちの実践に敬意を表したいと思います。



本書の特集ページでは、44年3月10日の陸軍記念日パレード、42年に撮影されたシンガポールの連合国軍の捕虜たちの写真、43年の新民会中央訓練所の写真などが見られます。




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