この週末に、今までの刊行物をすべてめくり直してみました。
以下は、小社の既刊9冊の中からの一節です。
順不同で、あえて出典表記もしていません。
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旅を重ねていくなかでようやくわかりはじめたことは、実は人びとはゆったりとした時を送っているということだ。
数百年という時を経てはじめて、この時代は後世の人びとによって正しい評価がなされるだろう。
整頓された情報を十分に与えられている状態よりも、多少は情報が不足している状態のほうがそれを観る者の脳を活性化させるということなのだろう。
廃墟となった街で嘆き悲しむ女性の写真からは、その声が聞こえてきそうである。
日本政府は空襲に関する記事や写真について、「罹災者の狼狽状況」、「死者または傷者の運搬状況に関する写真」、「死体写真」などによって「事実を誇張し、または刺激的」に報じることがないよう指示を出し、事実上、被害の実態を報じることを禁じていた。
世の中には名のある偉い人はいっぱいいるが、本当は名のない偉い人がいっぱいいるんだぞ。
太陽ハ海カラ出デ海ニ入ルトハ
楽シイ時モ 苦シイ時モ
オ前達ハ 互ヒニ 信ジ合 嬉シイ事ハ 分チ合ヒ
あの時、あの瞬間に私たちに降り注いだ光と風と夢のような、きらめく時間。
そこで語られる風習や世界観を現代人の価値観で上から見下ろして馬鹿にするような作品には絶対したくなかった。
話すだけの民主主義だけでは不十分で、聞く力の自由においても民主主義が成り立たなければならない。
あらゆる歴史の積み重ねの上、あらゆる未来の可能性のはじまりである現在、時間の連なり
の一点に自分がいる。
人は人と結びあい、触れ合わなくては生きていけない生き物です。たった一人では生きてい
けません。人が一番学ばなければならないことは、どうやって助け合い、どうやって分かち合うかということです。
疑問を持つことは、心の一部をその時代にピンで貼り付けられることだ。
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こういうふうに、一冊の本の中からごく短い文章だけを抜き出して並べて、何らかの意味付けをしようとするのは、あまり褒められたことではないかもしれません。
僕は今のこの状況に直接役立つような本を作ってきたわけではなく、著者たちもこの状況に対応するために文章を綴ったわけではないのだから。
しかし、どの文章がどういうふうに琴線に触れてくるかは、つねに受け手のコンディションに大きく左右されます。
その本の制作にたずさわり、その本の本来の意図を熟知しているはずの編集者といえども、例外ではありません。
街の様子がすっかり変わり、人間関係のあり方も変わりつつあります。
「変わってしまったものはもう二度と元には戻らない」などと無駄に悲観的な言い方はしたくありません。
ただ、変わってしまったところから、あらためて時間をかけて再起動・再構築していかないといけないのは、どうやら確かです。
彼らがこの文章を書いているところを思い描いてみます。
彼女たちが「いま・ここ」でない場所にいるところを想像してみます。
ぼくはいまこういった文章に励まされたり、引っかかったりしています。
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いま、みずき書林の通常の編集業務と同時進行で、自分の本の執筆をしています。 たったいま、その執筆がひととおり終わりました。 もちろんひとまず最後まで書き切っただけで、これから二巡目の推敲に入っていくことになります。大幅な書き換えが必要な部分も出てくるかもしれません。...
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