蘭信三・小倉康嗣・今野日出晴 編
が出来上がってきました。
A5判500頁と、重厚な本。
いまのところ、みずき書林の刊行物の中ではもっとも分厚い本になりました。
この本については、版元ドットコムに長めのテキストを書きました。
また特設サイトにも、各章を紹介した文章を載せました。
本を見てもらえればわかることを長々と書きすぎるのは、もしかしたらよくないのかもしれません。
学術・研究書を刊行する版元であった前職では、編集者は前面にでないことを叩きこまれました。
本とは著者の思想や研究を述べるための器であり、編集者はそこに奉仕するべきである。
いわゆる「編集者黒子論」です。
基本的には僕も編集者は黒子であるべきだと思っています。もともとシャイで引っ込み思案な性格なので、そのほうが性に合っている、ということもあります。
ただ、ひとり出版社になってみて、ちょっとずつ考え方が変わってきています。
つまり、ぼくがその本の良さについて言わないと、誰も言わないわけです。
有能な営業担当がいるわけでもなく、SNS使いの巧みな中の人がいるわけでもない。
ぜんぶ自分でやらないといけませんし、僕がやらなかったことは、他の誰もやらない。
であるなら、なりふり構わず、思ったことは――それが良きことであれば――口に出したほうがいい。
今日、この本が出来上がってきて、必死になって発送準備をして(いうまでもなく、発送もぜんぶひとりです)、いま取次に見本出しをして帰宅したところで、いささか脱力しています。
この本のプロトタイプの企画書をやりとりしたのは、2019年の3月。
先週末にできあがった大川史織さんの『なぜ戦争をえがくのか』と並んで、ほぼ2年かかりました。
タイトルを見てもおわかりのとおり、この2冊は共通する問題意識を持っていて、それは出版社としてのみずき書林の主要な関心事のひとつです。
こういう本が作りたかったから、出版社になったようなものです。
同時に、この2冊には、2020年という誰にとっても異常で厳しかった1年の空気が否応なく刻印されています。
作業量や関わってくださった人の多さから、この2冊の編集作業は2020年の仕事のなかでも大きな比重を占めていましたが、この本があるから、なんとか乗り切る気分を維持することができたように思えます。
もちろん、戦争と記憶を主題にした本ですから、直接的にコロナをメインにしているわけではありません。
あくまで個人的に、単なる私的な思い入れとして、そういう感謝の気持ちが籠っているということです。
――また余計なことを長々と書いてる?
そうかもしれません。でも、まあいい。
たとえば大川さんと10組13人のアーティストたちがいれば、蘭先生・小倉先生・今野先生をはじめとする20人の研究者がいれば、同じような本はどこかで生まれたかもしれません。
でも、この本たちがいまこのかたちであるためには、みずき書林というものの関与はやはり必要であったわけで、2020年をなんとか乗り切って、いまこのかたちにできたことが、いまはいささか誇らしい、という気持ちです。
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