小説家の土門蘭さん。
工芸・現代美術家の遠藤薫さん。
映画監督で本書の編著者である大川史織さん。
昨夜は本屋B&Bさんの主催で、3人のトークイベントを行いました。
(アーカイブ視聴もできます。詳しくはこちらを)
2019年の10月、大川さんは遠藤さんに会うために、ベトナムまで行きました。
9月に執筆の依頼をしたら、即座に、うちに泊まればいいからハノイにおいでよとお誘いいただき、取材のついでに映画の上映会と天丼を食べる会をやりましょうと提案をいただいたのでした。
われわれは亘理の米と浅草・かどやの天丼のタレと日清製粉てんぷら粉を鞄に詰め込んで、飛行機に乗ったのでした。
その時点では、多少のメールのやりとりをしただけで、会ったこともありません。
普通は、とくに日本人は、あまりそういう人を自宅に泊めたりはしないのではないでしょうか。
ハノイに着いてタクシーに乗り、指定された場所で降りて待っていると、雨のなか、道の向こうから笑顔の女性が手を振りながら走ってきて、それが遠藤さんとの初対面でした。
遠藤さんは初対面の相手をいきなり自宅に3泊もさせて、上映会を企画して、美味しいごはんを作ってくれ、ハノイの様々な場所に連れて行ってくださいました。
その後、東京で再会してみると、大川さんと遠藤さんは、かおりちゃん、しおりちゃんと呼び合って、すっかり仲良しになっていたのでした。
〈不時着〉や〈撤退戦〉ということばを好み、〈逃げ方〉についてばかり考えていると言い、〈謝り力〉が高いと評され、おばあちゃんの服を身につけて奇抜な瞳の色を持つ遠藤さんは、そういう方です。
ハノイから戻った4カ月後、われわれは京都に向かいました。
土門さんと、編集担当者の柳下恭平さんに会うためです。
実を言うと、ぼく自身はこのふたりに会うことに、かなり緊張していました。
土門さんのブログを読み、そこにしばしば登場する柳下さんとのやりとりを、ほとんど理想的な著者と編集者/共同経営者の関係と思っていました。
『戦争と五人の女』を読んで、その内容とともに、こだわりぬいた造本にも圧倒されていました(この本を見ていなかったら、『なぜ戦争をえがくのか』の装丁はもっと普通のものになっていたでしょう)。
同じ職業を選んでいる者として、土門さんと柳下さんのチームに圧倒され、コンプレックスを抱くことになるだろうという予感がしていて、ぼくはけっこう気を張っていたのでした。
実際に会ってみると、柳下さんはやはり優秀・有能な方でありながら、相手に緊張を強いることのない、とても気さくで気取らない方でした(取材開始時にやおらお汁粉を注文する姿に、いきなり和んだのでした笑)。
そして土門さんは、きわめて理知的な話し方をされる方でした。
この取材の最初の文字起こしは、業者に頼まないですべて自分で行ったのですが、土門さんの語り口、声の質、滑舌、スピードは、実に耳なじみがよくて作業しやすく、論旨も明快でした。インタビュアーとして多くの仕事をしてこられたからこそ、なにをどのように喋るのが相手にとっていいのか、経験的に把握しておられるのかもしれません。
ホスピタリティにあふれる遠藤さんと、理知的で丁寧な土門さん。
その雰囲気は、昨夜の鼎談でも伝わってきました。
(途中でプシュッという缶ビールを開けるSEも入って、オンラインでばらばらな場所で視聴しているからこそ、そういう空気感が伝わることも楽しかった)
そんなおふたりの話を聞きながら、大川さんがずっと嬉しそうな表情だったのも印象的でした。
取材時には、編集者は編著者の横に座ることが多く、またインタビュイーのほうを見ていることが多いから、インタビュアーとしては横顔しか知りません。
ハノイにいたとき、京都に行ったとき、ほかの取材をしていたときも、こんな表情をしていたんだなということを知りました。
昨夜は楽しい時間でした。
それにしても、『タリナイ』がなければ2冊の本も作られず、土門さんや遠藤さんとことばを交わすこともなかったと思います。
思えば、『タリナイ』は、ずいぶん遠くまで大川さんを連れていき、多くの人との出会いを作りましたね。
映画『タリナイ』は今月末まで、オンラインで配信中です。
チケット代はマーシャル人コミュニティに寄付されます。
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