(前回のつづき)
高畑勲展の前後に、小林エリカ『この気持ち いったい何語だったらつうじるの?』(イースト・プレス、2012年)を読んでいました。
とても魅力的な本でした。
子ども向けで、2時間もあれば読めます。
読みやすく、余白をたっぷりとって、読者に一緒に考えるためのヒントを供給するというスタンスの本でした。
結論を急がず、適切なことばを紡げているか常に考えているようです。
そして他の小説や漫画を読んでも感じられるこの作家の特徴だと思われますが、エッセイでありながらとても詩的です。
「言葉なんてなんにもいらなくて、心がつうじたらいいのに」
「わたしたちは、それらを、いったいどこまで想像することができるのだろう」
「どれだけ一生懸命に、言葉を書き記しても、絵を描いても、写真を映像を撮っても、その当事者の「体験」を完全に再現することはできないし、その人自身を目の前にしたときにのみ感じることのできる圧倒的な強度に追いつくことは、おそろしいまでにむずかしいことなのだ、と思えます」
といったことばづかいの、一見なんでもなさそうな表現が、とても活きている本でした。
いま本作りをしていて考えていることは、ことばだけでは誰かに近づくためには十分ではないのではないか、ということです。
そのことを考えることを自分自身の課題として、いま何人もの人と本を作っています。
高畑勲は、一緒に仕事をする人に作品の世界を伝えるために、自分自身は膨大なテキストを残しました。
そして多くの人の力を集めて、ことばだけではない映像作品を残しました。
小林エリカの本は、そのタイトル『この気持ち いったい何語だったらつうじるの?』のとおり、ことばを使って、ことばと人の関係を考えるものでした。
今朝、ひとつ前の記事で、他社について書かなくてもいいことを書いたような気がしていましたが、先ほどあっさり謝罪してキャンペーンを撤回していました。すがる思いで期待していた深謀遠慮や葛藤はなにもありませんでした。
そして、同じく今朝いただいたとても嬉しいメールのことを著者のご遺族である奥様に伝えたところ、たいへん喜んでくださいました。
「今後も繰り返し読むことになるでしょう」ということばは(三上先生すいません、引用させてください)、とりわけ僕たちにとって嬉しいものでした。
編集中に奥様は「手元に置いて、折に触れて読み返したくなる本にしたい」と常におっしゃっておられましたから。
ことばをめぐっていろいろと気持ちが起伏した一日でした。
でも最終的にはいいことが多い日でした。満足。
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