• みずき書林

鷗外『渋江抽斎』――資料調査の醍醐味


名前の由来である人の代表作であるにもかかわらず不勉強にして今まで未読だった、鷗外森林太郎の『渋江抽斎』を読了。


延々淡々とした記述に、自分はいったい何を読まされているのだろう?と思いながら読み進めていくと、以下の文章に行き当たります。

「わたくし」というのは当然、鷗外自身のことです。


「わたくしはまたこういう事を思った。抽斎は医者であった。そして官吏であった。そして経書や諸子のような哲学方面の書をも読み、歴史をも読み、詩文集のような文芸方面の書をも読んだ。その迹が頗るわたくしと相似ている。ただその相殊なる所は、古今時を異にして、生の相及ばざるのみである。いや。そうではない。今一つ大きい差別がある。それは抽斎が哲学文芸において、考証家として樹立することを得るだけの地位に達していたのに、わたくしは雑駁なるヂレッタンチスムの境界を脱することが出来ない。わたくしは抽斎に視て忸怩たらざることを得ない」


ここに鷗外が渋江抽斎というほぼ無名の人物に感情移入して、異様な熱意で調査と執筆を行なう動機が描かれています。

この箇所を読んだとき、これは史伝・評伝といった小説として捉えるべきではなく、むしろ研究に近いのではないかと感じました。

研究であり、資料調査であり、いまの僕の関心でいえば、歴史学や社会学に近いと言ってもいいかもしれません。

そうであれば、この簡潔で恬淡とした文体にも、文学的味わい以外の意図があるように思えてきます。


鷗外は抽斎について調べ、類縁の人に会い、墓碑を訊ね、古書を漁っていたとき、「これは自分だけが発見した人物だ」という興奮を感じていたのではないでしょうか。

それは社会学者が自分の対象を見出して交流していくときのプロセスに近く、あるいはドキュメンタリー作家が自分だけが発見した対象に向き合うときの充実にも似ているかもしれません。

まさに無数のひとりひとりのなかから、自分だけの対象を見つけ、それを媒介に歴史や社会と結びつく表現をしていくこと。恬淡とした記述から、その静かな興奮と使命感が伝わってくるようでした。

Wikipediaレベルの知識ですが、和辻哲郎は本作を評して単なる「掘り出し物の興味」と評し、「無用の人を傳した」と批判したとか。

しかしぼくの感覚からいえば、世間一般には「無用の人」であることが、むしろ鷗外にとっては大切だったのではないかと推測します。

そのような「自分だけの出会い」は、たしかにありうるし、誰が何と言おうと、その関係は当人にとっては唯一無二の価値を持つことになるはずです。


*


そのような調査・研究の成果としての記述を読んでいると、不意にそれが自分にも接続される瞬間があって、それもまた驚きでした。

以下は抽斎の4番目の妻・五百(いお)についての記述です。

(ちなみにこの五百さんが実に個性的で生き生きと描かれています。この作品中、最もかつ唯一、その人柄がよく伝わってくる人物です)


「忠兵衛が此の如くに子を育てたには来歴がある。忠兵衛の祖先は山内但馬守盛豊の子、対馬守一豊の弟から出たのだそうで、江戸の商人になってからも、三葉柏の紋を附け、名のりに豊の字を用いることになっている。今わたくしの手近にある系図には、一豊の弟は織田信長に仕えた修理亮康豊と、武田信玄に仕えた法眼日泰との二人しか載せてない。忠兵衛の家は、この二人の内いずれかの裔であるか、それとも外に一豊の弟があったか、ここに遽に定めることが出来ない」


個人的なことですが、ぼくの妻は旧姓を山内といい、義父母曰く、「一豊の傍流の傍流」の出とのこと。

詳しいことはわかりませんが、米子の実家には元和3年(1617年)までさかのぼる系図が残っています。元和元年が大坂夏の陣、2年に家康が死去している、という時代です。そのころ、米子元祖の山内三右ヱ門は「備中国ニ於テ三百五十石ヲ領ス」とあります(ちょうど今日、妻の実家でその系図を見せてもらったばかりなのです)。

幕末維新の頃の先祖の写真も残っていました。それを見ると、帯刀した立派な士分であったことがわかります。米子の家には山内家伝来の槍があって、ぼくも一度だけ、長押に架けてある実物を見たことがあります。


というわけで、渋江抽斎の妻の家と、ぼくの妻の家は、もしかしたらどこかでつながっているのかもしれないのです。

こういうことがわかると、遠くて無関係だと思っていた抽斎と五百という人たちが、不意に近寄ってくるのを感じます。


ただそれだけの話なのですが、とはいえこういう予期せぬ接触も、歴史研究の醍醐味であろうと思います。

戦中といい、幕末江戸というけれど、それは思いのほか近くて、確実に地続きなのです。


まあ『渋江抽斎』という作品は、鷗外の代表作といわれ、極めて高い評価を得ているとはいえ、たとえば鷗外の歴史ものなどと比べれば、誰にでも勧められるような作品ではないかもしれません。

でもぼくは以上のように、歴史学的/社会学的資料調査という面からも、私的な関係の可能性という面からも、興味深く読みました。