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執筆者の写真みずき書林

黄土色の靴下


最近、向田邦子の本を読み返しています。

この人には、子どものころの言い間違いがそのまま記憶に定着してしまった、というエッセイがなぜか多くあります。


『夜中の薔薇』『眠る盃』というエッセイ集のタイトルも、記憶違いのことばをそのまま題にしています。

ともにシューベルトの「野中の薔薇」と、荒城の月の「巡る盃」の詩ですが、間違えたまま大人になってしまった、というのが語り出しです。



これは僕の記憶間違いかもしれませんが、小学校のときの教科書に、「切歯扼腕」を「切歯やかん」だと勘違いしていて、大人になってもこの言葉を聞くと、悔しくて薬缶を振り回しているイメージが頭に浮かぶ、というエッセイが載っていました。これもたしか向田邦子のものだったはず。



いずれも、そそっかしい聞き間違い、憶え間違いをしていて、それが子どもの頃の思い出と結びついて、味わい深いエッセイになるという趣向です。



中学生のころ、僕にはオーソドックスを必ず「オードソックス」と言う友だちがいました。

その年齢の子どもはその手の新しく覚えた言葉を使いたがるものですが、彼はもうそうやって憶えてしまっているようでした。

最初のときに指摘すればよかったんだけど、言い出せないままに彼はオードソックスオードソックスと言い続け、気弱な僕はそういうのを指摘するのが、ものすごく恥ずかしいというか気まずい。

勇気が出ないままに聞こえないふりを続けてしまいました。

この言葉を聞くと、いまだに黄土色の靴下が頭に浮かびます。





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