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  • 執筆者の写真みずき書林

12/8 アーサー王学会 印象記

更新日:2018年12月11日


というわけで、アーサー王学会日本支部会に行ってきました。

すでにTwitter上でいろいろ感想や反応がありますが、ここでもちょっと書いておきます。


なお、以下は僕の個人的な感想であり、正しいかたちでのレポートやレビューではありません。

つまり、登壇者のご発表を受けて個人的な感想を連ねているだけなので、登壇者の方々の主旨や主張とは必ずしも一致しない部分も多いと思います。

要するに学術的な意見ではもとよりなく、発表の要約でもありません。まあ、連想ゲーム的な(という表現はもはや通用しないのでしょうか)印象記です。


*****


最初の発表は、同志社の小川佳章先生。

アレクサンドロス王の父はだれか、という論旨ですが、ここではカリスマ的人物の出生の秘密と異形のビジュアルが面白かった。

出生の秘密というのは、アーサー王にも共通する点です(その点についてはこの後、斉藤洋先生の爆笑かつ創作者として実に真剣な講演があるのですが、後述)。

ビジュアルの異形性ということについては、アレクサンドロスは、


「……髪は獅子のたてがみに似て、瞳の色はそれぞれ異なっていた――右目は黒色、左目は灰色であった――歯は蛇のように鋭かった……」


と記述され、育ての父からは、

「おまえの顔かたちは気に入らんな、わしと似ているところがないからな」

と言われてしまいます。


上記の引用についてフロアから、「両方の眼の色が違うという描写は、ほかの英雄やカリスマにも共通する伝承や神話が存在するか?」といった趣旨の質問がありました。

たしかに、実際にそういう人と会ったことはありませんが、目の色が左右で違うというのは、一種異様で神秘的な印象を抱かせずにいないでしょう。

我々アジア系は、髪の色と目の色がほぼ一緒なので、こういった伝承は生まれにくいかもしれません。



僕が思い浮かべた実在の人物は、デヴィッド・ボウイでした。

彼も左右の眼の色がヘイゼルとブルーでした。そしてそのことが、彼の神秘的で中性的なビジュアルに大きな効果を与えていたのは間違いありません。

90年頃のデヴィッド・ボウイの美しくも妖しい壮年感は、僕の中では、それこそユーサーのイメージです。


アレクサンドロス以外に歴史上の英雄に瞳の色が違う人物がいたのかどうか、寡聞にして知りませんが、そのかわり、隻眼の人物というのはかなりいます。

山本勘助、夏侯惇、伊達政宗、山地元治など。隻眼というのは戦闘においては圧倒的に不利なはずですが、伝説的に強かったり勇敢だったりする人物が多いのは、その向う傷としての異形性が見るものにつよいインパクトを残したからでしょう。


なお、『銀英伝』の登場人物であるロイエンタールは左右の瞳の色が違うという設定でした(なお搭乗艦はパーツィバル)。また同じくオーベルシュタインは、隻眼どころか両目が義眼でした。

前者はクールな名将、後者は不気味な嫌われ者、というキャラ設定なので、さすが田中芳樹先生はこのあたりのイメージをうまく利用していました。


*****


次は早稲田大学の小沼義雄先生の「エスカリボール考」。


先生が淡々と発表する背後のスクリーンで、ゴーヴァンが女に手を出していちゃついた挙句に襲撃され、チェス盤を装備して戦う……という静止画が展開し、それだけですでにおかしい。

そしてこの〈おかしさ〉とは何かということが、さらにアブない出禁を危ぶまれる数々の図版とともに分析されていきます(Sexcalibor……)。


書き手と読者が、ある種の共通理解に立っているからこそ、そのおかしみが理解できるという分析は、昨今のサブカルチャーの文脈と全く同じです。

コンテキストを知らなければパロディや揶揄や皮肉に気づくことができず、うっかりすると野暮な批判をしてしまったり、内部の理解者から失笑をかったりすることは、しばしば起こることです。

(発表中も折に触れ、「これ以上いうと野暮になる」という趣旨の発言がされていました)

愛好家・ファンとはそういうものですし、そういうサークル・コミュニティの中と外では、作品に対する理解度が大きく異なってきます。

それがとりわけ〈笑い〉に関するものであれば、この理解の隔壁はちょっと超えようがないほど大きくなると思います。


洋の東西を問わず、人間は何百年も前から、そういったコミュニティを作ってはそのなかだけで通用するくすくす笑いを笑ってきたのだな、と感心したり、腰砕けになったり(俺の股間がエクスカリバー……)。


そしてそのなかで、ガウェインというやたらに強くてやたらにモテるキャラクターは、やっかみ半分の揶揄やからかいの対象でもあったのだな、と思わされます。

もちろんガウェインだけでなく、アーサーもランスロットもマーリンも、それぞれに魅力的でありながら、後世には〈やられキャラ〉の性格を付与されるエピソードが増えていきます。

これもまた、このあと登場する斉藤先生のおっしゃった「騎士は搾取階級」「神様のやる職業じゃない」という発言とも関わってくるのかもしれません。

それこそ騎士や貴族・吟遊詩人みたいなサークル内では、強くて異性にもてて同性にも好かれて、というキャラクターがもてはやされたのが、時代が下って民衆が語り手・聞き手としてコミュニティを形成すると、権力・特権階級や生産活動に従事しない支配者をコミカルに活躍させたいという欲望が生まれるのかもしれません。

『ホーリー・グレイル』でアーサー王が、マイケル・ペイリン扮する社会主義的な農民に論難されてひとことも言い返せない、という描写もありました。


なお、小沼先生の発表の本義は「古仏語の接頭辞es-の有無について」というサブタイトルが示す通り、エクスカリバーを俎上にしつつきわめて専門的かつ多言語的な分析がなされたもので、A4/10ページにおよぶレジュメは、詳細な引用と参考文献だけで構成されたものであったことを付言しておきます。



……いかん。

長くなりすぎる気がする。

ここでいったんアップ。



※ボウイとロイエンタールについて、後日付記を加えました(12/11)


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