top of page
  • 執筆者の写真みずき書林

2匹のハチ公と戦争


いまの渋谷の忠犬ハチ公像が2代目だというのは、わりと有名だと思います。


しかし、なぜ2代目なのか、初代はどうなったのかということは、(まあWikipediaなどに書いてあることではありますが)あまり知られていないかもしれません。

ハチ公にもまた、戦争がもたらしたちょっとした歴史的ツイストがあります。


初代ハチ公像は、鹿児島出身の彫刻家・安藤照によって作られ、1934年4月21日に除幕式が行われました(なお、除幕式にはハチ自身も参列しましたが、ハチは翌年3月に死亡しています)。

除幕式から10年後、戦中の金属供出によってハチ公像は溶解されることになり、10月12日に「出陣式」が行われて撤去されます。

1944年10月といえば、10日に沖縄本島などに対して空襲があり、18日には捷一号作戦が発令、20日には米軍がレイテ島に上陸し、レイテ沖海戦で日本軍は大敗することになります。このとき、はじめての神風特攻隊が出撃しています。

駅前の銅像まで撤去しなければならないほど、戦費は逼迫していました。


安藤照は翌45年5月25日の、いわゆる山の手大空襲で自宅防空壕で死去します。

そしてハチが実際に溶解されたのは8月14日。

つまり初代ハチ公が「戦死」したのは、玉音放送があって戦争が終わる前日です。

初代ハチ公は、機関車の部品になったといわれています。


戦後になり、ここからさらにツイストが加わります。


1948年には、照の息子の士(たけし)の手によって、いまの2代目ハチ公が完成しますが、このときも敗戦後で銅不足だったため、父の作品である銅像を溶かして鋳直して2代目にしたとのことです。

そのために溶解された父の遺作は女性像で、「大空に」という名前が付けられていました。

父が死んだ5月25日の空襲で破壊されて、安藤家の庭に残されていたものだったといいます。


照と士がどういう親子関係だったのかは知りませんが、父と息子が戦争をはさんで(しかも父の遺品を材料にして)同じ像を作ることになったわけです。


「大空に」、どんな作品だったのでしょうね。

それはもう二度と見ることはできません。

それは渋谷のハチ公のなかに埋め込まれています。




最新記事

すべて表示

引き続き倦怠感

またしばらく更新が滞りました。 この数日、倦怠感があったり、急に明け方に高熱が出たり、ちょっとだけ参ってました。 本当はこういうときこそブログや日記を書くべきなのかもしれません。 体調がよくて比較的平穏に過ごせているときだけでなく、ちょっと具体が悪いときほど、書き残しておくべきなのだと思います。 しかし頭ではそう思っていても、実際に具合が悪いと、なかなか思ったように書けません。 そういうときは時間

倦怠感が少し

昨日今日くらい、なんだか倦怠感が強く身体がうまく動かない感じ。 ここのところずっと点滴していたステロイドを半量に減らしたので、その影響もあるのだろうか。 身体に力が入らず、集中力に欠ける状態が続いていて、少しつらい。 まあ、こんな日もあるということで、できる範囲・できる時間で仕事をしていくしかない。 スピッツの新譜を聴きながら仕事。 あいかわらずのグッドメロディ。学生の頃から聞いてきた音楽。 なん

19日、20日の日記

5月19日(金) 昨日は実に眼福なものを拝見する。 公開してもいいものかどうかわからないのでここに詳しいことを書くことはできず、思わせぶりな書き方になってしまいけれど、本当に恐縮かつ光栄なことでした。 ごくごく身内にだけ見せて、感涙に咽んだのでした。 5月20日(土) 午後からイベント3連発。 13時から第4回聖書読書会。 マタイによる福音書。今日読んだ最後の節が、イエスがガダラの人を癒すというく

bottom of page