「どうしてこんな苦しいことをわざわざやっているのか、自分でもわかりませんよ(笑)」
(宇佐美雅浩、写真家/撮影準備をしながら漏らした言葉)
よって、ここでいう才能とは、「その人だけの情熱と愛情と、その結果としての表現」と換言することができるかもしれない。
大衆性や換金性や時代性や継続性はほとんど関係がない。少なくとも僕は、問題にしない。
ただ、その人がいなければその表現もなかった、というものをひとつでもアウトプットできた場合、そのときその人にはある種の才能があったと言っていいと思う。
それが万人にウケたか。金になったか。世間で騒がれてみんな知っているか。歴史的な偉業か。
そんなことは関係ない。
その人がキラキラと――あるいはギラギラと――やりたいことを追い求めているとき、そのように生きていられることだけが重要になる。
多くの場合、彼ら彼女たちのパラメーターは、僕のそれほどバランスのとれたグラフは描かないかもしれない。僕のは能力であり、その人のは才能だから。彼ら彼女たちは、あるアビリティで120点を叩き出すから。
そのパラメーターはいびつだ。
いびつだけど、鋭角に突出した一点がある。
彼ら彼女たちには突出した一点があり、その一点は他の何物にも・誰にも置き換えることはできない。
それがどれだけかけがえのないことか、わかっていますか?
なお、この一連のテキストの冒頭には、この一年間で僕の印象に残ったセリフを思いつくままに順不同・本文とは無関係に挙げている。
僕をのけぞらせ、考えこませ、ため息をつかせた言葉。
他にもたくさんの人がたくさんのことを喋り、その気になればそういった言葉をもっと思い出すこともできるが、ひとまずテキスト量の配分を考えて全4回くらいに分けることにして、思い出すままに4つだけ挙げた。
(北尾さんは僕の著者ではないが、タレンテッドな編集者だと思う。みずき書林とはトランスビュー加盟時期におけるほぼ同期なのだが、仰ぐ存在である。彼は僕よりひと回りもふた回りも大きなかたちで、バランスの良いグラフを描いている)
(つづく)
Kommentare