「もしかしたら、現在がデビューしてから一番楽しく漫画を描いているかもしれません」
(山田南平、漫画家/ブログより)
先にも書いたように、僕はだいたいのことで75点が取れる。
現実的・社会的・即物的・常識的な対応はできる(と思う。たぶん)。
ひとり出版社に必要な技術は「とりあえずぜんぶ自分でできること」だと思う。何かでものすごいハイスコアを出す必要はないけれど、そのかわり、ひととおりのことはざっくりとできないといけない。
この一連では僕が僕がとうるさいが、何も僕だけが特別に常識的なわけではない(特別に常識的。というのもおかしな表現ではあるが)。これは謙遜でも自己卑下でもなければ、いうまでもなく自慢しているわけでもない。特別な才能のない多くの社会人は能力の高低差で勝負していて、僕はそのバランスが良いと自己規定することで勝負している――せざるをえない――ということだ。
そういう観点で眺めると、僕は何人かの才能のある人に出会った。
彼ら彼女たちが自分のやりたいことに向かっているとき、その横顔はとても格好よく、美しい。
彼ら彼女たちは、それをやらずにはいられない。当人にすらわからない何らかの理由によって、彼ら彼女たちはそれをやめられない。
僕は編集者だから、できることならそういう人たちの横顔を見ていたいと思う。
正面から向かい合って互いの顔を見ていてもしかたがないだろう。
後姿が遠ざかっていくような見つめ方は、できればしたくない。
彼ら彼女たちの表現方法のひとつに本という手段がありうるなら、同じ方向を見ながら伴走/伴奏したいと思う。
ランナーは彼だから、僕は自転車に乗って首からストップウォッチを下げて、伴走する。
主旋律を奏でるのは彼女だから、僕はハモったりリズムを刻んだりして、伴奏する。
同じ方向を見ているゆえに、僕が見るのは彼ら彼女たちの横顔になる。それを見ていたいと思っている。
そして同時に、自分が横顔を見られていることを意識している。
横顔を見つめるものは、横顔を見つめられてもいる。
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