村上春樹の1990年の紀行文集に次のような一節があった。
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四十歳というのは 、我々の人生にとってかなり重要な意味を持つ節目なのではなかろうかと、僕は昔から(といっても三十を過ぎてからだけれど)ずっと考えていた。とくに何か実際的な根拠があってそう思ったわけではない。あるいはまた四十を迎えるということが、具体的にどういうことなのか、前もって予測がついていたわけでもない。でも僕はこう思っていた。四十歳というのはひとつの大きな転換点であって、それは何かを取り、何かをあとに置いていくことなのだ、と。そして、その精神的な組み換えが終わってしまったあとでは、好むと好まざるとにかかわらず、もうあともどりはできない。試してはみたけれどやはり気に入らないので、もう一度以前の状態に復帰します、ということはできない。それは前にしか進まない歯車なのだ。僕は漠然とそう感じていた。
(中略)
それも、僕が外国に出ようと思った理由のひとつだった。日本にいると、日常にかまけているうちに、だらだらとめりはりなく歳を取ってしまいそうな気がした。そしてそうしているうちに何かが失われてしまいそうに思えた。僕は、言うなれば、本当にありありとした、手応えのある生の時間を自分の手の中に欲しかったし、それは日本にいては果たしえないことであるように感じたのだ。
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この本は村上春樹の中でも好きな本で、これまで何度か読み返しているが、自分も40歳になってみると、この文章がとても印象に残った。
別に僕は外国で暮らそうと思ったわけではないけど、上の文章の「日本」を「会社」に置き換えてみると、とてもしっくりくるものがあった。
たぶんこれは、単純に「40を超えるということは、引き返せないほど歳をとるということである」という話ではない。
最近の僕は最近の村上春樹の熱心な読者ではないけれど、こういうとても個人的な思いを他の人にもなんとなくわかるような文章にするのは、ほんとうに上手だなと思う。
ついでに、いかにも村上春樹のエッセイ的な流れでなんだが、「単純ならざる加齢」という意味では、ボブ・ディランのMy Back Pagesのサビの、
Ah, but I was so much older then,I'm younger than that now.
という歌詞も、最近あらためて気になる。
曲としては、高速であっという間に終わるラモーンズのカヴァーのほうが好きだが。
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