• みずき書林

『遠い太鼓』


村上春樹の1990年の紀行文集に次のような一節があった。


*****


四十歳というのは 、我々の人生にとってかなり重要な意味を持つ節目なのではなかろうかと、僕は昔から(といっても三十を過ぎてからだけれど)ずっと考えていた。とくに何か実際的な根拠があってそう思ったわけではない。あるいはまた四十を迎えるということが、具体的にどういうことなのか、前もって予測がついていたわけでもない。でも僕はこう思っていた。四十歳というのはひとつの大きな転換点であって、それは何かを取り、何かをあとに置いていくことなのだ、と。そして、その精神的な組み換えが終わってしまったあとでは、好むと好まざるとにかかわらず、もうあともどりはできない。試してはみたけれどやはり気に入らないので、もう一度以前の状態に復帰します、ということはできない。それは前にしか進まない歯車なのだ。僕は漠然とそう感じていた。

(中略)

それも、僕が外国に出ようと思った理由のひとつだった。日本にいると、日常にかまけているうちに、だらだらとめりはりなく歳を取ってしまいそうな気がした。そしてそうしているうちに何かが失われてしまいそうに思えた。僕は、言うなれば、本当にありありとした、手応えのある生の時間を自分の手の中に欲しかったし、それは日本にいては果たしえないことであるように感じたのだ。



*****


この本は村上春樹の中でも好きな本で、これまで何度か読み返しているが、自分も40歳になってみると、この文章がとても印象に残った。

別に僕は外国で暮らそうと思ったわけではないけど、上の文章の「日本」を「会社」に置き換えてみると、とてもしっくりくるものがあった。

たぶんこれは、単純に「40を超えるということは、引き返せないほど歳をとるということである」という話ではない。

最近の僕は最近の村上春樹の熱心な読者ではないけれど、こういうとても個人的な思いを他の人にもなんとなくわかるような文章にするのは、ほんとうに上手だなと思う。


ついでに、いかにも村上春樹のエッセイ的な流れでなんだが、「単純ならざる加齢」という意味では、ボブ・ディランのMy Back Pagesのサビの、


Ah, but I was so much older then,I'm younger than that now.


という歌詞も、最近あらためて気になる。

曲としては、高速であっという間に終わるラモーンズのカヴァーのほうが好きだが。


最新記事

すべて表示

駆け込み訴え

ここのところなんやかやと小忙しく、ブログ更新が滞りがち。 昨日は上野で人と会っていたのです。 久しぶりに人数も多かったとはいえ、ちょっと飲みすぎでは? 2合徳利を何本空けたやら。 帰り道ずっと「わたしはユダ。イスカリオテのユダ。げへへ」と呟きながら歩き、家に帰ってからもずっと言ってた。 ちょっと酔ってたと思われる。 今日になっても、若干の酒気とともに、太宰をいくつか読み直してみようかな、という気分

文字を読みまくる週末

世間は4連休らしいが、関係なし。 次の本の最後を飾る、3万字にも及ぶ力作の終章をチェック。 戦争体験の継承、トラウマの感染、歴史実践の可能性について。 先生の胸を借りるつもりで、思うところを長文のメールに書いてお送りする。 ここのところ集中的にやりとりしている原稿。 1年前にハノイで行った美術/工芸家の取材を元にしたテキスト。 ver.7までやりとりして、ようやく完成が見えつつある。 次のZINE

© 2018 by Mizuki Shorin Co., Ltd.