辻原登・永田和宏・長谷川櫂『歌仙はすごい』(中央公論新社)
をぼちぼちと読み進めています。
備忘録としてルール的な部分に触れた箇所を挙げておきます。
「歌仙では客人が発句(第1句)を詠みます。主人は客を迎える脇(第2句)を詠み、相伴役は第3句を務めます。」
「36句の中に花の句を二か所、月の句を三か所、恋の句を二か所に入れるルールがあり、花の句は17句目、35句目。」
「月の句は5句目、29句目。このほか「初折の裏」に「月の出所」がある。」
「「雑(ぞう)」とは季節のない無季の句のこと。」
とはいえ、本書の宗匠・捌き手である長谷川櫂は、本書中で繰り返し何度も、以下のことを強調します。
「細かな規則は波乱万丈の航海をつづける船乗りたちの手足を縛ることになる。よき捌き手に求められるのは……役立つ規則と無駄な規則を見極め、役立つ規則でもときには破る度量と才覚にほかならない。」
さらに、
「日本人がヨーロッパから学んだ近代文学が「私」に固執する文学であるなら、連衆が「私」を捨てて別人になりきる歌仙は(そして歌仙から生まれた俳句も)その対極にある文学ということになるだろう。」
とも書いています。
付かず離れず、揺蕩うような遊びが面白いなあと思う所以です。
なお、丸谷・大岡・安東の一連の作品もよく読みましたが、歌仙関係で何度も読んでいる個人的に屈指の名作は、石川淳の「歌仙」です。
ひとりで歌仙を巻くという趣向ですが、いかにも石川淳らしい、読んでいる間は飄々として流麗で衒学的で、それでいて読後感は思いのほか骨っぽい感じが、格好いいです。
Comments