• みずき書林

40


最近、年齢について考えることが増えました。


20代30代と、比較的安定した環境で仕事をしてきました。その時間は、16年間に及びました。

あっという間の16年でしたが、終わってみればそれなりに長い年月だったと思えます。

いろいろとしんどいこともありましたが、毎日やることがたくさんあって、金持ちだったわけでは全くありませんが定期的な収入もいちおう保証されていて、なによりよい知り合いに囲まれ、かなり幸福で恵まれた年月だったといえるでしょう。

そのままそういう暮らしを続けることもできたのでしょうが、今年3月に、ちょっと思うところがあって環境を変化させてみることにしました。

ほぼ同時に、40歳になりました。


この半年間、我ながら若返ったと思います。

もちろん、身体的にはもう若いとはいえません。ランのタイムも落ちてきましたし、髪質も昔はもっと太くてコシがあったように思います。日本酒を飲みすぎると翌日胃がもたれるし、やたら早朝に目が覚めたりもします。

しかし実際の感じとしては(厚かましいことに)、たいして歳をとったとも思えないのです。

まあ、いつまでも子どもっぽいだけなのかもしれませんが、20代や30代と話をしていても、そこまで隔世の感があったりはしません(向こうがどう思っているかは知らないし、知りたくもない)。

仕事上の環境を変えたことが大きいと思いますが、いまさらながら新しいことをはじめてみて、感情の起伏が激しい毎日を送っています。もちろん楽しいことばかりではなくて、考えてみれば不安感や焦燥感を感じることのほうが多いかもしれません。しかし、そういった感情も含めて、かつてなくエモい日々になっていることは確かです。

この半年間、会う人に「嬉しそうな顔をしている」「元気そうになった」と言ってもらえることが多くありました。もしかしたらいつまでガキっぽいんだ、ということが言いたかったのかもしれませんが(笑)、僕自身も我ながら最近は嬉しそうな顔をしていると思うのです。



まだそれほどの歳ではないはずだけれど、とはいえもう若いともいえないかもしれない40歳になって、日々生きていくうえでのささやかな営業方針をふたつ。


1.自分を〈おっさん扱い〉しない。

自己規定は伝播する。「もうおっさんだからさ~~」などと年齢をエクスキューズにしはじめたときから、自他ともに認めるおっさんになる。

他人からそう思われるのはしかたないが、自分にそれを許した時から、ヒトは無反省で甘えた悪しき〈おっさん〉と化す。

歳月はいずれ我々すべてを飲み込んでいく。いずれ年齢を認めざるをえないときがくるだろう。

でも、そこはもうしばらくの間、ちょっと抗っていこう。


2.とりあえず面白そうなことには首をつっこんでみる。

自己規制は何も生まない。

もちろん、自分が持っている時間とコストと能力の範囲内で判断する。

でも、そういった諸条件が許すなら、とりあえず新しいこと・面白そうなことには目と耳を向けてみることにする。

請われれば、一指し舞える人になれ。

たぶんそのほうが、明日が楽しい(今頃になってそんなことに気づいた)。


今日は、嬉しいことが連続的に起こりました。

嬉しいときは素直に喜べばいいのだと、僕はこの歳になって学びました。

もしかしたら結局うまくいかないかもしれない。ぬか喜びになるかもしれない。そんなことを思って心に予防線を張って、いざというときに傷つかないように喜びに自己規制をかける必要はないのだと思います。

僕はそういうことを、この半年間でやっと実感として学びました。




この話題、たぶん断続的に続く。永遠のテーマとして(笑)。

最新記事

すべて表示

阿呆の条件

ふん。 要するに、自宅でバタバタ人が死んでも、「医療体制は崩壊していない」と言い張れるということか。 僕は極めて温厚な人柄で知られているが、そんな僕でも、お前らはほんとうにアホなのかと思うよ。 アホというのはどういうことか。 ①に、ことばで説明しようという意志がないこと。 言語化能力が低くてもかまわない。でも最低限、ことばを尽くして他者に説明しようとする意志は、リーダーには必要だろう。 ②に、まっ

本が買われる瞬間

28日(水)、今野書店に向かう。 新しくパネルを設置するため。 簡単なテキストに壁新聞制作中の写真を添えたもの。 しばらくフェア台の前を見張っていると、若い女性客が土門蘭さんの『戦争と五人の女』を買っていく現場に遭遇。 嬉しくてまた抱きつきそうになる(抱きつかないが)。 帰りの電車の中で土門さんにメール。 初回納品の大半が売れて残部1になったので、補充することに。 その足で森岡書店へ。 最後のイン