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  • 執筆者の写真みずき書林

Attu Boy



日本軍がやってきたのは穏やかな日だった。1942年6月7日だった。

その日は日曜日で村民たちは皆教会に集っていた。隣の湾からモーターのような音が聞こえてきたのは、教会の礼拝が終わった頃だった。それは今まで聞いたことのないような音で、実は機関銃の音だったんだ。4、5人の若い男たちが様子を見に丘に登ってみたが、その音が何の音なのかわかった時にはもう手遅れで、日本軍はもうそこまで迫ってきていた。

飛行機が村の上空を飛んでいったが、その翼には赤い丸が描かれていて、操縦士の顔が見えるくらいの低空飛行だった。



山腹の斜面から降りてきた日本軍は騒がしかった。カラスの鳴き声のようにも聞こえた。まわりを見回しても何も見えなかったが、銃声が聞こえてアレックスが走りだしたので私も走った。教会を通り越して村の向こう側に回ったが、その時だったよ、日本軍が丘から下ってくるのを見たのは。アレックスを追って必死で走っていると、目の前で地面の土が飛び散った。立ち止まって振り向くと私の後ろでも土が飛び散った。



湾の方角からはいろんな音が村の方に聞こえてきた。あんなにたくさんの村民が同時に外に飛び出たのを見たのは、あの時が初めてだったよ。




これは、アリューシャン列島のアッツ島に住んでいた少年が、日本兵が侵略してきたときのことを回想したテキストです。

彼によると、1942年頃のアッツ島は、人口34人。

「静かな良い所だったよ。当時は何もなかった。家には断熱材も水道管もなかった。暖房のための薪ストーブがひとつあっただけだった」。


地図で確認するとわかりますが、日本からもアメリカからもかなり離れたところです。

飛行場を建設するなどの戦略的な見地から見れば、もちろん利用価値があるのでしょうが、一般人の感覚からすると、わざわざ出向いて行って占領する必要があるのか、そこまで出かけていくだけで相当な労力だと考えざるをえない場所です。

ようするに、そっとしておいてほしい/そっとしておけばいいんじゃないかというような場所です。


そこにある日、日本兵がやってきます。

冒頭に引用したいくつかのテキストは、当時6歳だった少年が、70年後にその日を思い出して語ったテキストです。



正直に言うと、この文章を読んだときに思い浮かべたのは、トルメキア軍が風の谷に襲来したときのシーンでした。

突如、平和な村に巨大な飛空艇が現れ、風車や畑を破壊して着陸する。現れた兵士や戦車があたりを蹂躙しながら迫ってくる。村人は一カ所に集められ、侵略者の支配下に置かれる。

人質がとられ、村の平和と引き換えに連行される。



34人しかいない島民の恐怖や混乱はいかばかりだったでしょうか。

(この日を境に彼らは捕虜になって日本に連行され、終戦まで小樽に収監されます。戦後は沖縄、マニラ、サンフランシスコ、シアトルを転々として故郷近くのアトカ島に落ち着きますが、故郷のアッツ島に戻って暮らすことは生涯ありませんでした)



以上、いま編集を手伝っている本『Attu Boy アッツ島の少年』(日本語版をアメリカで刊行予定)からの紹介でした。


編集中のゲラより。当時のアッツ島の「メインストリート」



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いま、みずき書林の通常の編集業務と同時進行で、自分の本の執筆をしています。 たったいま、その執筆がひととおり終わりました。 もちろんひとまず最後まで書き切っただけで、これから二巡目の推敲に入っていくことになります。大幅な書き換えが必要な部分も出てくるかもしれません。 「あとがき」などもこれから書かないといけません。 ゲラ校正などまで考えると、やっと素材の原形質が揃ったという段階に過ぎません。 とは

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