藤岡さんが「カッポコポー!」と声をあげれば、クラウドは盛大に手を叩きます。
「カッポコポー!」とはマーシャル語で「拍手!」の意味。
本を作り映画の公開を見守ったこの2年半の間に知り合った人たちの顔が、たくさん見えます。
みんなにこにこと拍手をしています。
11月17日、中野のハワイアンカフェ「マハロア」。
『タリナイ』公開から1周年を記念した、スペシャルイベント、
「ウクレレチャンポ――マーシャルで映画『タリナイ』を上映してみたら」。
まずは『タリナイ』の上映。
この映画が描くのは、マーシャル諸島共和国という遠い国です。
そこでかつて餓死した日本兵・佐藤冨五郎さんとその息子・勉さんをモチーフにして、カメラはいまのマーシャル諸島に残る歴史の刻印を描き出していきます。
かつて日本が統治し、米軍の作戦によって蹂躙され、いまなおその影響下にある小さな国。
けっして面白おかしいテーマではありません。
にもかかわらず、作品はふわりとした穏やかな雰囲気を基調にもっています。
とても真剣で、でも深刻になりすぎることはありません。
上映後、『トゥレップ』の山岡信貴監督は、「自分だったら――男の監督だったら、同じテーマを扱っても絶対にこういう映画にはならないと思う」とおっしゃっていました。
会場で配布したテキストに書こうとしたことを少し補足しておきます。
マーシャルと日本の間の断絶を描いたこの作品は、にもかかわらず、なにがしかの希望を感じさせます。
それはおそらくこの作品が、その断絶を越えられない淀みとしてではなく、橋を架けるべき流れとしてとらえているからです。
作中の重要な場面で流れる「イイエン エンマン」と呼ばれる曲があります。
日本語訳はこんな感じです。
長い間
ずっと この時を待ち望み
涙を流してきた
さあ こちらへおいで
隣に座って
そうすればきっと 分かり合える
離れ離れになってしまった相手ともし再会することができるなら。そのときはどんなふうに接すればいいでしょう。
ここでは、ただ隣に座りさえすれば分かり合える、と歌われます。
歴史認識は大事です。史料批判もロジックも自己主張も、必要なことではあります。でも分かり合うために一番大事なことは、もっと基本的なことです。
相手の名前を知っていて、顔を知っていること。まずなによりも、好きであること。そうなれば、正義とかはもう関係ないね(Those who know know.)。
それはもしかしたら、政治史や外交史といったほかの学問分野では難しいことかもしれません(ということを、はじめて映画を観た後に送ったメールでも書いたのでした)。
時間的にも空間的にも遠く離れている。
我々はみんなここに集まり、そしていつか別れていく。
でも、だからこそ、それを超えて分かり合うことができるかもしれない、という希望を、作品は示唆しています。
この日はいろんな知り合いと一緒に観たからこそ、そのことをあらためて強く感じたのでした。
(つづく)
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